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2007年03月15日

柔術選手名鑑:フレジソン・パイシャオン

1e83ac30.jpgフレジソン・パイシャオン。

ポルトガル語で「情熱」という意の名前を持つこの選手のことを知ったのは2001年のムンジアルでした。

前にここで書いた、中井先生にくっついて行った初ブラジルで、その中井先生と試合したのがこのパイシャオンで、その年のブラジレイロ王者ということ以外、何も情報がない選手でした。

無精ひげを生やし、集中力をみなぎらせてマットに立つ中井先生に褐色の弾丸のごとき俊敏さで組み付き、あっという間にマウントポジションを取ると一気にタップを奪ってみせたパイシャオン。

そのときは何で試合が終わったのかわからず、「え?なんで終わったの?」という感じであっけに取られてしまいました。

そしてパイシャオンの手が挙げられて初めて「ああタップで負けたんだ…。」と気づいたのです。

その試合で中井先生に極めたのがパイシャオンの代名詞ともいうべき「モンジバカ」。

今でこそ超がつくほどの有名技ですが、当時は手首を極めるなんて想像がつかず、どうやるんだ?と疑問に思ったものでした。

そして中井先生に勝利したパイシャオンは並み居る強豪選手のバルボーサやフレジソン・アウヴェスらを破りムンジアルで初優勝を果たしてその名を一気に有名にしたのでした。

それからのパイシャオンの活躍は周知の通り。

翌年のムンジアルも連覇するも、2003、2004年と2度に渡りマリオ・ヘイスに破れ王座から遠のくが2005年に見事リベンジを果たし王座返り咲き。

その後、総合に進出し、日本にもたびたび来日して総合戦績7勝2敗を誇り、あのハニ・ヤヒーラ、ファビオ・メロ、今成正和にも勝利しています。

昨年こそDEEPでの今成戦のためにムンジアルは不出場だったが「僕には柔術の血がながれている」と言うパイシャオンにはいつかまたムンジアルのマットに戻ってきて欲しいと思います。


★今や「頭」の看板選手となったパイシャオン。「頭」はパイシャオンが色帯の頃か
らスポンサードしており、その付き合いは長い。
ATAMA

★ちなみにパイシャオンは紫帯で出場した99年のブラジレイロを制した後に茶帯を飛
び級して黒帯に昇格したのは有名な話。

そして2000年のブラジレイロは黒帯で優勝している。

紫帯までは試合で無敗を誇り、そのパイシャオンに初めて黒星を付けたのが当時ハウフ・グレイシー門下だったアメリカ人柔術家、デビッド・カマリロ。

そのパイシャオンの初敗北の試合はホイスvsイズマイウがメインカードのDVD「オスカー杯2」で見ることができる。
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Profile
フレジソン・パイシャオン Fredson Paixao
グレイシーバッハ所属
168cm/68kg
2001,2002,2005ムンジアル黒帯ペナ級チャンピオン
総合戦績7勝2敗


text & photograph by Kinya Hashimoto



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