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2007年08月16日

高谷コラム「日本BJJ 夜明け前 其の壱」

  今年に入り、日本ブラジリアン柔術連盟の登録制度が強化され、それに基づいた連盟主催大会・公認大会といった、いわゆる公式戦が多く開催されている。
 
最初に連盟と言う形で発足したのは9年前、1998年のこと。先日第八回大会をむかえた全日本選手権も、この年の8月に第一回大会がおこなわれている。

 BJJ・JAMやコパ・パレストラといった大会も、この年の前半期に始まったものだ。

 その数年前まで、日本にはブラジリアン柔術競技の姿は(ごく一部を除いて)明確には伝わっていなかった。

伝聞を参考にその姿を模索し、創造されたルールによりブラジリアン柔術にアクセスせんとした大会が散見された時代・・

 筆者が参加したそのような大会のひとつについて回想してみたい。

1996年1月20日「全日本組技選手権」なる大会に、当時25歳の筆者は、まだ日本では謎の多かったブラジリアン柔術への強い関心、そして打撃以外はほぼ何でもありで時間無制限、一本勝ちのみというルールに惹かれ、迷わず参加したのだった。

ちなみにまだネットが浸透していなかった時代、格通やゴン格に掲載される大会情報・選手募集には常に目を通していたものである。
 
この大会のトーナメント表やルールを示したコピー紙が、筆者の手元に現存している。

以下、要約。

・反則はあらゆる打撃のほかは、目潰し・噛みつき・金的攻撃のみ。現在言うところのスラミングはOK。

・その他あらゆる投げ・関節・絞め技がOK。

・勝敗は参った・失神・タオル投入による一本か、反則による失格(故意なら一回・偶発的なものなら二回で)のみ。決着がつくまで時間無制限でおこなわれる。

・場外から出た場合は、審判がそのままの形で場内に戻し再開。

・体重無差別のトーナメント戦。 

試合当日は雪の降る、非常に冷え込みが強い日であった。

会場である埼玉県立武道館(現在たびたび大会がおこなわれる上尾のそれではなく、当時浦和にあったもの)も暖房が効いておらず、広いフロアに一面だけ畳を敷いた試合場は文字通り寒々とし、これから始まるいわば「裏試合」にふさわしいとも言える空気をかもし出していた。

主催者が簡単な挨拶をする。

やはりブラジリアン柔術の経験者のようだ。

聞こえてきた情報によると、ロスのマチャド道場青帯とのこと。

その真偽は今となっては確かめるすべもないが、当時の感覚では「マチャド=中井選手に勝った、グレイシーと並ぶ強豪(の道場)」「青帯=日本には存在しない柔術のオーソリティ」として、筆者の好奇心と闘争心を煽るには充分な肩書きであった。

その大会の顛末について(筆者の試合が中心となるが)、次回は書きたいと思う。 




同大会がレポートされたゴング格闘技96年3月23日付号
表紙は当時全盛の故アンディ・フグ




筆者が所有する大会ルールの記された紙



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