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2007年09月15日

不定期連載・高谷コラム「日本BJJ 夜明け前 其の弐」

前回から少々期間があいてしまったが、1996年1月20日、埼玉県立武道館にておこなわれた「全日本組技選手権」、筆者が参加した同大会についての回想を続けたい。

 残っている当時のトーナメント表によると、参加者16名にておこなわれるはずだった大会…実際は半数近くが棄権していた記憶がある。

特に、玉石混合ともいえたエントリー者のなかでも、ある程度の実績(特にサンボ)のある数選手が当日来場していなかったようだ。

理由はわからないが…。

 筆者の一回戦の相手は来場していた。

名字だけはトーナメント表に残っているのだが、所属は非公開、それ以外どのような選手であったのか、今となっては知るすべもない。

 さてこの一回戦、小手返しで倒してアームロックでの一本勝ちであったのだが、開始直後、対戦相手が道衣を脱いで向かってきたことを覚えている。

道衣着用が義務付けられていた同大会だが、途中で脱いでもかまわないというルールのようであった。

 続いて二回戦、対戦相手は主催者のY選手であった。

 すかさず引き込むY選手。

当時柔道とサンボしか経験がなく、まだ柔術というもののイメージすらはっきりとつかめていなかった筆者にとっては「これが柔術か…」あるいは「これがグレイシーのスタイルなのか?!」というような認識、またそのような相手と対していることに興奮と喜びを感じていた。

あの時代、七帝系の学生と練習する際以外、めったにお目にかかれなかったような巧妙な足さばきに苦戦しつつ、なんとか今でいうところのパスガードに成功。

続いて腕狙いから最後は十字固めをとったのだが、Y選手決してタップせず。(当時のゴング格闘技誌には「Yの伸びきった腕の軋む音が耳に入るにつれ、正視できなくなる…。」との記述があった)

ルールには審判によるストップがなく、相手のタップを待つしかない状況に困惑していたところ、相手側のセコンド(御兄弟のようであった)からタオル投入がなされ、ようやく試合を終わらせることができた。

試合時間26分50秒。

正直「とんでもない試合に来てしまった」とやや後悔しつつむかえた準決勝、相手は某総合系公認チームのH選手。軽量であり、また先ほどの試合の反省も踏まえ、ぜひとも短時間で極めてしまいたいと思っていたのだが…。

常に有利なポジションを取ってはいるのだが、どうしても一本取れない。

腕狙い、絞め…バリエーションも多くないゆえ、やることも読まれてきた。

30分、1時間と時間だけが過ぎていき、あげくの果てに相手の道衣は脱げ、ますます攻めづらくなり、逆に髪を引っ張られたり(これもルール上OK)して苦戦となった。

2時間45分42秒、予想外の展開に主催者サイドより一旦「水入り」が入った。

もう一方の準決勝を先におこなうという。

もう一方の準決勝、柔道・サンボでかなりの実績を持つK選手が絞めで勝ちあがった。この試合時間39分33秒の間、筆者とH選手は休憩することが出来た。

さて再開後だが、またも同じような展開となってしまった。

いい加減イライラがつのった筆者は、マウントから両手で直接首を絞めたりしてみたのだが、功を奏さず。(ゴン格誌によると「火曜サスペンス劇場の殺人シーンを思わせる場面に、思わず顔を背ける者も・・。」)

結局、再開後56分15秒、計3時間41分57秒の試合は、体育館の閉館時間により引き分けとなった。

準決勝勝利のK選手、そしてH選手、筆者の3名が優勝という結果を残して…。

このような不整備なルール、またゴン格誌でも書かれていたが「理念」が見えてこない大会は、現在の整備されたブラジリアン柔術との関わりの中では、もう決しておこなわれることはないだろう。

だが筆者個人的には、試合後数日は放心状態となるような経験が、あの時代ならではの大いに意味のある修行であったように思えるのだ。

*      *      *      *      *
 本文の主題とは外れるが、現在、一本勝ちのみを認めるというコンセプトの試合に「パラエストラ支部対抗戦」がある。

昨年初めて出場した筆者は、試合中に10年前の記憶がよみがえったものである。

が、もちろんこの対抗戦はそれと違い大いなる理念を感じさせるもの。

今年は明日9月16日、10時より台東リバーサイドスポーツセンター武道場にておこなわれる。




2回戦、腕十字をとるがなかなかタップせず・・



準決勝、マウントから手で首を絞め、口をふさぐ筆者。



準決勝、バックから髪を引っ張られる・・


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