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2007年12月17日

ハイアンについて

68d6cc56.jpgハイアンの死去した経緯ですが、自分が聞いた話を書きたいと思います。

まずハイアンの最近の状況としてハイアンは情緒不安定で向精神薬を常用しており、それに加えマリファナやクラック、コカインなどのドラッグ類も併用、その結果、過度に暴力的になったり被害妄想に陥ったりと精神的にかなり病んでいたそうです。

そしてこの事件があった夜も(ドラッグの影響で)深夜に極度の興奮状態になり、大声で叫びながら路上の車を強奪、逃走しました。

興奮状態のハイアンの運転する車は暴走し衝突事故を起こしてしまい、車内から逃げ、近くにいたバイクの所持者に暴行を加えバイクを奪おうとしてところで駆けつけた警察により捕獲されて逮捕、収監されました。

警察の施設内で薬物使用が確認されて医師の処方により興奮を鎮めるための鎮静剤などが投与され、独房に入れられました。

そして翌朝、独房内で心肺停止状態のハイアンが発見されたのです。

ハイアンの死の原因として鎮静剤の過剰投与の影響が考えられているらしいです。

自分がハイアンを最後に見たのはアブダビの会場でした。

このときのハイアンはスタンドの隅で数人の仲間と観戦していて、キーラの試合のときもセコンドには付いていませんでした。

自分とは面識があり、会えば「コニチワ!」「オゲンキデスカ!」などとカタコトの日本語で陽気に話しかけてくるのですが、その日はそれもなく、今にして思えば元気がなかったように記憶してます。

自分がハイアンと初めて会ったのは2000年のPRIDE初参戦のときでした。

前評判で「ハイアンはヤバイ奴」「怒ると何をしでかすかわからない」と聞いており戦々恐々で近づいたのですが、実際に会うととてもナイスガイで当時、あまり流暢でないブラジリアン・イングリッシュで話してくれました。

言葉の最後には「サンキュー、マイフレンド」というのがお決まりのフレーズで「ああ、これはヘンゾと同じだなー、さすが兄弟」と思ったのを覚えています。

そしてハイアンは親分肌だったことも知られています。

ハイアンが試合で来日したときには当時、日本でグレイシー・サンパウロの支部を作っていた日系ブラジリアンのマリオ横山、ホドリゴ大西らが名古屋や岐阜から東京に駆けつけ、ハイアンの身の回りの世話を率先してこなしていました。

そのハイアンは彼らの東京での滞在費や食費、六本木での酒代など一切を支払っていたといいます。

周りにはともかく身内には非常に人望が厚かったハイアン・グレイシー。

安らかに眠って欲しいと思います。

R.I.P. RYAN GRACIE

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この記事へのコメント

1. Posted by ステーキもぐもぐ   2007年12月17日 21:00
ハイアンの突然の死に驚きました。自分が柔術をはじめた頃、当時石澤選手との最初の試合が行われたときで、所属のグレイシーバッハの仲間と、どういう試合になるのかな?等と盛り上がっていました。個人的にはハイアンのファンだった自分は彼の戦う姿に、何か魅力を感じていました。blogで、彼の意外な優しい人間性を知り、悲しみはより深くなりました。ハイアンの冥福を心より祈ります。ハイアン…さようなら。有り難う。
2. Posted by asteriawisk   2008年05月01日 11:27
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