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2009年01月02日

柔術を始めたきっかけ・パート1

7aa78fbf.gif今日はお正月ということで特にニュースもないので自分が柔術を始めたきっかけを書いてみたいと思います。

それにはまず中井祐樹(敬称略)を知った話から始めましょう。

自分は昔からプロレスが好きでよくプロレスを見ていました。

一時期は本気でレスラーになろう!と思ってメキシコ行きを考えて貯金したりスペイン語を習ったりしたこともありました。

当時は体が小さいヤツはメキシコに行ってレスラーになる、というのが定番コースだったんです。

ライガーやウルティモ・ドラゴンみたいなマスクマンに憧れていたんですよね。

カト・クン・リー&ブラックマン&クンフーのロス・ファンタスティコス、ウルトラマン&ソラール&スペル・アストロのカテデス・エスパシオみたいなマスクマンチームが好きでした。

ですがバイトしながら体を鍛えたりスペイン語の学校に行ったりしながらプロレスを見てたら、見る方が楽しくなっちゃってバイト代のほとんどをチケット代につぎ込んでしまい、貯金なんてできませんでした。

そりゃそうです、当時はインディープロレス花盛り。

新日本、全日本以外にも大小さまざまなインディープロレス団体が乱立して競い合うようにデスマッチや奇抜な選手を出場させていたりしてました。

自分が特に好きだったのは過激なデスマッチが売りだったW★INGと本場メキシコから直輸入したルチャリブレの団体、ユニバーサルでした。

そして連日のプロレス通いでレスラーの友人もできたりして、その実情を聞くと「こりゃレスラーなんてやるもんじゃないな!」と思っていきました。

そんなある日、友人のレスラーが新格闘プロレスの試合に出る、ということで後楽園ホールに試合を見に行くことに。

その試合こそが中井祐樹がプロレスラーと戦う格闘技戦だったのです。




試合では自分よりふた周り以上も大きい相手に中井祐樹があっさりと足関節技で勝利し「小さいけど強いなー!」と思ったことを記憶しています。

その後、プロレスと並行してK−1や修斗を見るようになり、徐々に格闘技に傾倒していくようになりました。

修斗やバリジャパ、そしてPRIDEと世は格闘技ブームの夜明け前夜的な盛り上がりを見せていました。

そこで活躍していたのはブラジル人の柔術選手たちでした。

グレイシーを筆頭に多くのブラジル人柔術選手が試合に出ては連戦連勝を飾っていて「柔術はすげーな!」と柔術に魅せられていったのです。

そして時は98年4月。

自分の人生を左右する大事件が勃発しました。

なんと自分の体がガンに侵されていることが発覚したのです!

ガンだとわかってから即入院、その翌日には緊急手術というあわただしさで不安とか恐怖を感じるヒマもないぐらいのスピードで数日は過ぎていきました。

その後、2回の手術と3回の抗がん剤治療を経て約4ヶ月の後に無事に退院することができるまでに回復しました。

早期も早期、超初期の状態で発見できたのがよかったようです。

でもしっかり転移してて、転移してた方のリンパ腺を全摘出することになってしまったんですけど。

そして退院してみたら4ヶ月のも長い間、ほとんど寝たきり状態だったために体力がなくなってて、まともに歩くのさえままならないぐらいになってました。

それからは食う量は常人と一緒ですが動くのが思うようにできない、というデブへの道まっしぐら!

気づいてみれば退院時は65kgだった体重が半年後には約80kgになってしまっていました。

これじゃいかん!と思いスポーツクラブに通ったり、マラソンやウォーキングに勤しんだりしましたが、また飽きっぽい性格が災いしどれ長くは続かなかったのです。

そんなときに愛読していた格闘技通信に出ていた小さな記事を見つめました。

それが「鶴屋浩がパレストラ松戸を設立」のニュースでした。


…この続きは明日!




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