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2010年01月28日

黒帯名鑑&インタビュー:小沼一平(RBアカデミー) Part.2



昨日の続き、小沼一平インタビュー・Part.2です!

今回は小沼さんの柔術的なキャリアからハワイ時代のこと、練習仲間だった有名選手のことなどを話してもらっています。

それではどうぞ!



──ここからは小沼先生の柔術歴についてお聞かせください。いつ柔術の練習を始めたのでしょうか?

小沼:柔術を始めたのは1999年です。
当時の仕事の仕入れでハワイにいたのですが、その時、キックボクシングでもやろうかと考えていました。
しかし、街を歩いていたところ、偶然ブラジリアン柔術アカデミーが目に飛び込んできました。
これは面白そうだと思って始めたのがきっかけです。


──ハワイのアカデミーはどこだったのですか?

小沼:当時は3つの名前を名乗っていましたね。
J-SECTハワイ、ルイス・ペデネイラス柔術、ノヴァ・ウニオン・ハワイです。
オーナーはジョン・ルイスでした。その道場はビルの閉鎖と共になくなりました。
現在はノヴァ・ウニオン・ハワイとして、レアンドロ・ニーザが活動しています。


──そのノヴァ・ウニオン・ハワイでは誰が指導していたのでしょうか?

小沼:最初の先生は、スティーブ・シウバです。彼はジョン・ルイス・アカデミーのヘッドインストラクターで、ロバート・ドライズデールの最初の師匠です。あとマーク・ライモンですね。
マークは現在はラスベガスにてコブラ会を主宰しています。
白帯から黒帯になるまで継続的に指導を受けたのはシャルト(ヘナート・ベヒーシモ)で、私が師匠と呼べるのはシャルトです。あとはバレット・ヨシダですね。


──マーク・ライモンといえばグラップリングでADCC王者ディーン・リスターやジェフ・モンソンを破っていますね。

小沼:そうですね、ディーン・リスターがADCCを制した頃に彼は勝利しています。
むしろリスターがマーク相手にあそこまで健闘できたことに驚きました。それぐらいマークは強かったです。
最後にスパーしたのは5、6年前に茶帯を巻いていた頃ですが、マークが今までスパーリングした中で最も強かったです。


──シャルト先生からはいつごろから指導を受け始めていたのですか?

小沼:青帯を取得するぐらいの頃から指導を受けています。
青帯から黒帯まで、帯はすべてシャルトからもらっています。
黒帯はシャルト自身が巻いていた物を貰いました。


──黒帯になるまでの期間は?

小沼:だいたい5年かからないぐらいです。
シャルトには、「4年で取れ」と、言われてました。シャルトやシャオリンが4年だったからそれを目指せと。
でも5年掛かりました。


──紫帯時代に大怪我で3度、膝の手術をしたそうですが、それがなければ4年で黒帯になれていたかもしれませんね?

小沼:それは仮定の話なのでわかりませんが、遊びや怠けの遅れと違い、怪我の遅れは取り戻せます。長い目で見る必要はあると思いますけどね。遊びは遊びで大事ですが。

──小沼先生はシャルトの最初の黒帯だそうですね。BJペンも彼の弟子ですが、そのBJですらシャルト先生からは黒帯を与えられていません。驚嘆です。

小沼:ありがとうございます。

──シャルト先生は日本の柔術家にとってはあまり馴染みが無いかもしれませんので彼についての話をお聞かせください。

小沼:ノヴァウニオンではシャルトほど才能のある選手はいなかったと、デデ先生が雑誌で言っていましたが、本当にそうだと思います。なぜなら彼はほとんど練習しません。
出会ってから彼のハードトレーニングを見た事がありません。
試合前に相手のビデオを見て「よし、後はビールを飲んでいれば勝てる」と言って指導しかしていませんでした。
UFCでカーロス・ニュートンに勝利した直前も、白帯相手に1日20分ぐらい汗を流し、それを週に2回程度。
マット・ヒューズも寝技では圧倒していますが、過去の貯金で戦えたのもそこまででしたね。その後は連敗していました。格闘技は甘くないです。


──ではバレットとの思い出について教えてください。

小沼:バレットと出会ったのは白帯の時です。
昼間、バレットのスパーリング相手をしていました。技の実験台ですね、当時は。
割と体格が近かったのと、私はノヴァで午前の練習を終えた後、、夜のクラスまで暇していたので、よく呼び出されました。当時は刃物突き付けられている様な、怖い関節技でした。


──BJペンとは練習していたりしましたか?

小沼:大会の度に会いましたが、練習は少しです。島が違うので。
彼がMMAに転向する際、最初の打撃の練習にも付き合いました。


──BJペンは現在、柔術出身ながら素晴らしい打撃技術を見せています。最初から打撃は上手かったのですか?

小沼:いや、そんなことはありません。
ただ、シャルトが言っていましたが、BJペンに対して同じ指示は2度出したことはないそうです。
本当に天才だと思います。勤勉ですし、負けん気の強い。
BJがストリートファイトで捕まり、シャルトが身元引き受人として警察行ったりもちょくちょくありました。
MMA転向前、喧嘩では既に打撃主体だったそうです。
自分よりも遥かに大きい人にも打撃で真っ向勝負していたそうです。シャルトから聞いた話ですが。


──ハワイ時代にはADCC王者のロバート・ドライズデールとも共に修行を積んでいたそうですね。

小沼:はい、青帯の頃までは練習していました。
彼はラスベガス道場のスティーブ・シウバが一時期ハワイに連れてきていました。
彼が18、19歳頃だと思います。
ロバートはやがてラスベガスに戻りましたが、私がラスベガスに行ったときに再会できました。
しばらく連絡を取り合っていたのですが、私が膝のケガで入院、ロバートもブラジルへ行ってしまい、連絡が取れない時期がありました。
本当に何年も連絡が取れずにいたのですが、2008年に柔術魂4でロバートの活躍を知りました。
たまたまその1週間後ぐらいに再びラスベガスに行く機会があり、スティーブに連絡をとっったらロバートもラスベガスに戻っており、再び再会でき、今でも良き友人です。


──今後の目標を教えて下さい。

小沼:指導者として時代に遅れないこと。アカデミーとしての目標は、大きな大会でのチーム入賞です。あと強いオヤジ軍団を作りたいですね。
昔の話ですがハワイで茶帯になった翌日、サークルで練習している42歳の紫帯の人とスパーをしたんです。
辛うじて引き分けに持ち込んで終えたのですが、その人の強さに驚きました。
後で友人から聞くと「彼の実力はとっくに紫ではない。パンナムも紫で2度優勝をしていて、2度目の優勝はアダルトでだったんだ」と言うんです。
その彼に話を聞くと、柔術のキャリアは6年で、「柔術はいい。あと2年くらいのんびりと紫をやるよ」と、言っていました。
36歳から始めて、42歳でその強さ。柔術の素晴らしさを目の当たりにした瞬間でした。
だからもっと中高年の人達にも楽しんでもらいたいです。個人の目標はいつか宝くじ売り場を経営してみたいですね(笑)』





text by Takashi Umezawa



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