2010年03月07日
btbrasil at 00:04 Permalink
ヨーロピアン選手権優勝のエジソン篭原・インタビュー!
昨日紹介したヘナートのテクニックの受け手と通訳をしてくれたエジソン篭原。
このエジソン、少し前まで日本でも有名だったキモノメーカー「ドゥマウ」の社長として知られていましたが現在はドゥマウの権利の一部を売却してしまいました。
ですがいまだにみんなには当時の名残でシャチョー!と呼ばれています。
また昨年から試合に復帰し、今年のヨーロピアンでは見事に優勝を果たしました。
そのエジソンにヨーロピアン選手権でのことを聞きました。

エジソン篭原(テンサイ柔術アカデミー)
──ヨーロピアン優勝おめでとうございます。試合に出ようと思ったきっかけから教えて下さい。
エジソン:去年から出ようと思ってたんですけど、今までいろいろな大会に出ましたが自分の階級での試合があまりないんですよね。
シニア1黒プルーマなんですが。日本には大会がたくさんあるんですが自分のカテゴリーで試合したことはないです。
いつもアダルトやマスター、そして重い人とばかり。
だから自分のカテゴリーの試合がしたくてヨーロピアンに行ってきたんです。
──多くある大会の中でなぜヨーロピアンを選んだんでしょうか?
エジソン:ヨーロピアンがいま一番規模が大きくなってきてる大会だからです。
アメリカも大きいと思いますが僕ら日系ブラジリアンが行くのは難しいんですよ、ビザの問題があるんで。
だからヨーロピアンにした、というのが大きな理由ですね。
大会も年を重ねるごとに規模が大きくなり続けてるんで去年からヨーロピアン参戦は決めてました。
──試合はどのような展開でしたか?
エジソン:相手はブラジル人でヨーロッパでインストラクターをやってる選手でした。
ワンマッチ決勝でしたが楽しみながら試合ができましたね。
ポルトガルに着いた瞬間から「ここはオレの街だ!」と感じたんです。
言葉も同じだし街の風景がブラジルとよく似てたんですよ。
だから直感的に「勝てる!」と思いましたね。
試合内容はよくなくてレフェリー判定勝利でした。
相手に膠着のルーチが2回入ったんでそれで勝てた、という感じです。
──ヨーロピアンと日本の選手の違いはどうでしたか?
エジソン:相手の力が強かったですね。
あとテクニックもありましたよ。
茶、紫はいいブラジル人選手もたくさん出てたので全体的な試合レベルは高いんじゃないかと思いました。
会場の雰囲気もよかったですよ。
黒帯の試合のときは凄く盛り上がってました。
──最も印象に残ったことは何でしたか?
エジソン:やっぱり優勝できたこと、それがまず一番です。
あとは日常を忘れて観光もしながら大会に出れたのでそれも楽しかったですね。
いいストレス解消になりましたよ(笑)。
──それではパーソナルプロフィールを聞きます。柔術歴から教えて下さい。
エジソン:柔術歴は10年。
黒帯になったのは07年12月ですね。
でも黒帯になってからはしばらく試合に出れなかったんです。
首のヘルニアが悪化して練習はおろか普段の生活にも支障が出るようになって。
腕が痺れるんですよ。
今も手を握るのが困難な状態で。
それでしばらく治療に専念してたんですが完全には治らないことがわかったんです。
だからもう片腕で試合すればいいや、と割り切って(笑)また試合に出るようになったんです。
掴む、握るということができないから襟や袖を持つのが大変ですよ。
だから口でギを噛んで引っ張ってからそれを持つ、というのをよくやってます。
──そのハンデを言ってしまったらみんなにわかってしまってまずいのでは?
エジソン:別にいい(笑)もうしょうがないですよ。
治らないってわかったから、それを覚悟して試合に出てるんですから。
しばらく3年ぐらい試合を休んでたんですけどダメでしたね。
仕方ないです。
──現在の仕事は?前はドゥマウの社長でしたが。
エジソン:今は普通の会社員です。
8時から5時半まで会社で仕事をしていますよ。
仕事が終わってから指導と練習ですね。
指導は毎日です。支部は群馬、栃木に4つあって全部で100人以上の生徒がいます。
みんな頑張ってますよ。
──元々はインファイト・ジャパンの所属でしたよね?
エジソン:いまパートナーのマルシオ・ヘイスが入ってきたのでそのときに二人でインファイトから独立してテンサイ柔術アカデミーを立ち上げたんです。
もちろん何か揉め事があったわけではないですよ。
ただ単に新しくニュートラルに始めよう、ということです。
──ユニークな名前のアカデミーですが、そのネーミングの由来は?
エジソン:アメリカのパラゴン柔術と同じで模範、素晴らしい、とか凄い、とかポジティブな単語だったから(笑)
──柔術を始めたきっかけは?
エジソン:昔から格闘技は好きだったんですよ。
やはりUFCのホイスの活躍はとても印象的でした。
そんなとき埼玉に住んでたんですが群馬で柔術の道場がある、って知ったんです。
そしてすぐに柔術を始めたのが最初ですね。
やっぱり柔術のいいところはテクニックが素晴らしい。
テクニックを身につければ小さな人が大きい人に勝つことができる。
そこが一番いいと思います。
──では最後に今後の目標を教えて下さい。
エジソン:いまパンナムに出ようかな、と思ってます。
ヨーロピアンに優勝できたので次のステップです。
でも仕事して指導して自分の練習というのはなかなか難しいんでそこがうまくいけば、ですけど。
一番の目標は長く試合を続けること。
私はプロの選手じゃないからアダルトではなく自分の年齢カテゴリーでたくさんの試合に出たいと思ってますよ。
もう若くないんでね(笑)。

エジソン篭原・プロフィール
所属:テンサイ柔術アカデミー
生年月日:1970年5月10日(38歳)
身長:160cm
体重:62kg
ヨーロピアン選手権・シニア1黒プルーマ優勝。
このエジソン、少し前まで日本でも有名だったキモノメーカー「ドゥマウ」の社長として知られていましたが現在はドゥマウの権利の一部を売却してしまいました。
ですがいまだにみんなには当時の名残でシャチョー!と呼ばれています。
また昨年から試合に復帰し、今年のヨーロピアンでは見事に優勝を果たしました。
そのエジソンにヨーロピアン選手権でのことを聞きました。

エジソン篭原(テンサイ柔術アカデミー)
──ヨーロピアン優勝おめでとうございます。試合に出ようと思ったきっかけから教えて下さい。
エジソン:去年から出ようと思ってたんですけど、今までいろいろな大会に出ましたが自分の階級での試合があまりないんですよね。
シニア1黒プルーマなんですが。日本には大会がたくさんあるんですが自分のカテゴリーで試合したことはないです。
いつもアダルトやマスター、そして重い人とばかり。
だから自分のカテゴリーの試合がしたくてヨーロピアンに行ってきたんです。
──多くある大会の中でなぜヨーロピアンを選んだんでしょうか?
エジソン:ヨーロピアンがいま一番規模が大きくなってきてる大会だからです。
アメリカも大きいと思いますが僕ら日系ブラジリアンが行くのは難しいんですよ、ビザの問題があるんで。
だからヨーロピアンにした、というのが大きな理由ですね。
大会も年を重ねるごとに規模が大きくなり続けてるんで去年からヨーロピアン参戦は決めてました。
──試合はどのような展開でしたか?
エジソン:相手はブラジル人でヨーロッパでインストラクターをやってる選手でした。
ワンマッチ決勝でしたが楽しみながら試合ができましたね。
ポルトガルに着いた瞬間から「ここはオレの街だ!」と感じたんです。
言葉も同じだし街の風景がブラジルとよく似てたんですよ。
だから直感的に「勝てる!」と思いましたね。
試合内容はよくなくてレフェリー判定勝利でした。
相手に膠着のルーチが2回入ったんでそれで勝てた、という感じです。
──ヨーロピアンと日本の選手の違いはどうでしたか?
エジソン:相手の力が強かったですね。
あとテクニックもありましたよ。
茶、紫はいいブラジル人選手もたくさん出てたので全体的な試合レベルは高いんじゃないかと思いました。
会場の雰囲気もよかったですよ。
黒帯の試合のときは凄く盛り上がってました。
──最も印象に残ったことは何でしたか?
エジソン:やっぱり優勝できたこと、それがまず一番です。
あとは日常を忘れて観光もしながら大会に出れたのでそれも楽しかったですね。
いいストレス解消になりましたよ(笑)。
──それではパーソナルプロフィールを聞きます。柔術歴から教えて下さい。
エジソン:柔術歴は10年。
黒帯になったのは07年12月ですね。
でも黒帯になってからはしばらく試合に出れなかったんです。
首のヘルニアが悪化して練習はおろか普段の生活にも支障が出るようになって。
腕が痺れるんですよ。
今も手を握るのが困難な状態で。
それでしばらく治療に専念してたんですが完全には治らないことがわかったんです。
だからもう片腕で試合すればいいや、と割り切って(笑)また試合に出るようになったんです。
掴む、握るということができないから襟や袖を持つのが大変ですよ。
だから口でギを噛んで引っ張ってからそれを持つ、というのをよくやってます。
──そのハンデを言ってしまったらみんなにわかってしまってまずいのでは?
エジソン:別にいい(笑)もうしょうがないですよ。
治らないってわかったから、それを覚悟して試合に出てるんですから。
しばらく3年ぐらい試合を休んでたんですけどダメでしたね。
仕方ないです。
──現在の仕事は?前はドゥマウの社長でしたが。
エジソン:今は普通の会社員です。
8時から5時半まで会社で仕事をしていますよ。
仕事が終わってから指導と練習ですね。
指導は毎日です。支部は群馬、栃木に4つあって全部で100人以上の生徒がいます。
みんな頑張ってますよ。
──元々はインファイト・ジャパンの所属でしたよね?
エジソン:いまパートナーのマルシオ・ヘイスが入ってきたのでそのときに二人でインファイトから独立してテンサイ柔術アカデミーを立ち上げたんです。
もちろん何か揉め事があったわけではないですよ。
ただ単に新しくニュートラルに始めよう、ということです。
──ユニークな名前のアカデミーですが、そのネーミングの由来は?
エジソン:アメリカのパラゴン柔術と同じで模範、素晴らしい、とか凄い、とかポジティブな単語だったから(笑)
──柔術を始めたきっかけは?
エジソン:昔から格闘技は好きだったんですよ。
やはりUFCのホイスの活躍はとても印象的でした。
そんなとき埼玉に住んでたんですが群馬で柔術の道場がある、って知ったんです。
そしてすぐに柔術を始めたのが最初ですね。
やっぱり柔術のいいところはテクニックが素晴らしい。
テクニックを身につければ小さな人が大きい人に勝つことができる。
そこが一番いいと思います。
──では最後に今後の目標を教えて下さい。
エジソン:いまパンナムに出ようかな、と思ってます。
ヨーロピアンに優勝できたので次のステップです。
でも仕事して指導して自分の練習というのはなかなか難しいんでそこがうまくいけば、ですけど。
一番の目標は長く試合を続けること。
私はプロの選手じゃないからアダルトではなく自分の年齢カテゴリーでたくさんの試合に出たいと思ってますよ。
もう若くないんでね(笑)。

エジソン篭原・プロフィール
所属:テンサイ柔術アカデミー
生年月日:1970年5月10日(38歳)
身長:160cm
体重:62kg
ヨーロピアン選手権・シニア1黒プルーマ優勝。