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2011年03月23日

ATOSの新鋭、エドゥアルド・ラモスの知られざる事実!

今や飛ぶ鳥を落とす勢いのATOSですが、その中で最近メキメキと頭角を表しつつある新鋭がいます。

それが今回紹介するエドゥアルド・ラモスです。

そのラモス、柔術を始めたのは実はこの日本だった、というのはなかなか知られていないことでしょう。

今日はラモスが柔術を始めたときの知られざるエピソードを当時の所属先であるパラエストラ岐阜の代表の清水宗元氏に綴ってもらおうと思います。



先日のヨーロピアン選手権のアダルト黒帯ペナ級で優勝したエドゥアルド・ラモス選手は、元パラエストラ岐阜会員で、クラブ初期のエース的存在でした。

彼は出稼ぎ外国人労働者として来日中にブラジリアン柔術に出会い、日本でそのキャリアをスタートさせたのです。

ブラジルに帰ってからかなり経つということもあり、決して僕が育てたという訳ではないのですが、僕にとっては懐かしい友人ということで、在籍当時のエピソードなどを紹介させていただきます。

パラエストラ岐阜が発足したのは2001年の9月。

「ブラジリアン柔術を通して国際交流に貢献したい」という理念を持っていた僕は、ブラジル人労働者の多い可児市を練習拠点に構えて活動を開始しました。

しかし当時全くブラジル人コミュニティーにコネクションを持っていなかったため、とりあえず可児市にあったブラジリアンショップにチラシを置かせていただこうと考えました。

それで店に行ってみると、180100圓呂△蹐Δという巨漢の店員がいました。

明らかにウェイトトレーニング等で体を鍛えているカンジだったので、「これは話を聞いてもらえるかも」と思い話しかけてみると、日本語が全然わからない様子でした。

そこで、ポルトガル語辞書をひいて自作したチラシを見せると、 「オオー,ジュウジュツ!サクラバー!フジター!」 と、少し勘違いしながらも(笑)、格闘技の練習をしていることは理解したようでした。

練習の日時・場所を教えると、すぐにその店員グレイソンさんは、友人二人を伴って来ました。

その二人がラモスさんとシルビオさん(ラモスさんの奥さんの兄。パラエストラ岐阜の中心メンバーの一人)だったのです!

2002年の年末のことでした。

僕は柔道・柔術あわせて、格闘技歴は30年超、指導歴も15年超なのですがそのキャリアの中でも、ラモスさんほどの早い上達ぶりを見せたものは、他には一人も見たことがありません。

入会半年後の2003年6月の全日本選手権では、アダルト白帯レーヴィ級第3位、アブソリュート級第3位で早くも青帯昇格。

二ヶ月後、中部地区最大級の柔術大会「セントラル・ジャパン・チャンピオンシップ」では、アダルト青帯レーヴィ級第3位。

2004年の全日本選手権では、二回勝って準々決勝で、優勝した八隅孝平選手と対戦し敗退。



青帯時代のラモス。



年末の第一回めの「Giアマ中部大会」アダルト青帯レーヴィ級決勝では、当時すでに東海地区では有名選手であったマックス・フェルナンデス選手と対戦し惜敗するも、レフェリーをした和道稔之さんに、「清水さん、ラモスすごいね!」ってわざわざ言われたほどの好勝負でした。

ちなみに、昨年のムンジアルのアダルト黒帯ペナ級一回戦でラモスさんと和道さんが対戦したのも何かの縁でしょうか。

当時は自分自身も試合に結構出ていたので、ラモスさんとはとにかくよくスパークリングをしました。

当時、一番よくスパークリングした相手だったと思います。

よく覚えているのは、とにかく練習を休まないこと。

敬虔なクリスチャンなのにクリスマスの日にも練習に来たぐらいです。

練習開始時間に遅れないのはもちろん、スパーリング中に一度も休憩しせずにぶっ続け。

また練習以外の部分でも、食べ物とかすごく気をつけてて、なんか、チーズだの、バナナだの、シリアルバーだの、ヘルシーなものばっかり食べてました。

そういう所が、他の人と全然違いました。

もちろんセンスも秀でていたのですが、姿勢・努力という点で全然違っていたのです。

実は一時期、他のアカデミーに移っていたこともあったのですが・・・。

それも彼の人並み外れた向上心からの行動であったと思います。

でも、ブラジルに帰る数ヵ月前にはクラブに戻ってくれ、送別会もウチでやることができました。

やっぱり、友達だったんで、戻って来てくれたのは、本当に嬉しかったです。

2003年のカンペオナートの時、大会スケジュールの都合上、二人だけでホテルに泊まり、二人だけで東京から帰ってきたことがあります。

その時に、一度だけラモスさんの身の上話を聞きました。

あんまり恵まれた環境に育ってなかったようです。

ブラジリアン柔術ってブラジルでは金持ちのスポーツっていうじゃないですか。

ラモスさん、ブラジルに帰って、すぐに頭角を表したんですけど、そういった裕福な層の人達からはすごくジェラシーを受け、嫌な目にもあったと聞きます。

そういうの知ってるんで、ラモスさんが正しい努力を積み重ね続け、苦難を乗り越え、そして大きなサクセスを掴んだというのは、友人として本当に嬉しいことです。

自分の周りからそういう人間が出たことは、本当に誇らしいです。

ラモスさんの今後にますます期待するとともに、ラモスさんに続く選手がパラエストラ岐阜からでるように、自分も頑張って行きたいと思っています。

パラエストラ岐阜 清水宗元




パラエストラ岐阜在籍時のラモス。
今から6年前の画像です!




©Bull Terrier Fight Gear

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