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2013年10月11日

高谷コラム:「柔術」を考える−「The Game of Ju-jitsu」

驚愕の一冊。

1906年(明治39年)、イギリスの「日本柔術学校」において指導をしていた谷幸雄と三宅タローによる技術書「The Game of JU-JITSU」が原文と対訳、さらに詳細な注釈をつけて「柔術の勝負−明治期の柔道基本技術−」として刊行されたのである。

谷幸雄については、かつて当コラム「もう一人のコンデ・コマ」その1 その2でも触れたが、前田光世などと同じく海外での他流試合を重ねた柔術家。

前田との交流も深く、同書では講道館柔道の修行暦もあるのでは・・とされている。

三宅タローも同じように海外雄飛を果たした柔術家であったが、後にはプロレスラーに転向し、マジソン・スクエア・ガーデンにも出場した。

昭和初期には外人レスラーを引き連れて日本での興行を行うなど、むしろプロレス史にその名を残している。

さて、同書では「明治期の柔道」または「講道館流寝技」として技術を紹介しながらも、谷・三宅とも「不遷流」を学んでいたことについてもしっかりと言及している。

「不遷流」は、これもかつて当コラム「柔術を考える・其の参」にて紹介していたが、精妙な寝技技術で知られている流派。

そして、いかにも講道館柔道といった足技を多く取り上げた立技部分と同じくらいのボリュームで寝技についてページを割いていることは、同書の特徴とも言えよう。

現在のブラジリアン柔術におけるマウント・ガード・スイープ・サブミッションなどについての解説は、それぞれスタンダードポジション1・2・ターンオーバー・ロックスと呼び名は違うものの、ほぼ共通するものであり、歴史的興味のみならず実践的な面でも我々に示唆を与えてくれるものであった。

谷幸雄と前田光世との交流、特に「日本柔術学校」で前田が指導に当たっていたという時期もあったことから、同書に掲載されている技術群は‘コンデ・コマ’前田光世のそれをイメージしてよいのではないだろうか。

前田が得意としたという袖釣り込み腰が紹介されていることからも、そのように思える。

そして、かつてエリオ・グレイシーがインタビューで語った「前田が(ブラジルで)教えていたのは、投げたら終わりのただの柔道」や「ガードポジションは私がつくったもの」といった内容に疑問符をつけざるを得ないとも感じ、現在のブラジリアン柔術技術の原型は、かなりの部分が前田の時点で確立していたのでは・・という説に辿り着くのである。

ともあれ、衝撃的な一冊であった。(敬称略)


1002
先月、三省堂書店より発行された
「The Game of Ju-jitsu・柔術の勝負-明治期の柔道基本技術-」。
原本は日露戦争直後の「日本ブーム」渦中に、
イギリスにて刊行されたもの。





高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
JBJJF公認A級審判員。

現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)
★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!
★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ

★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、43才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。

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©Bull Terrier Fight Gear


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