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2019年06月10日

【インタビュー】マルコ・フアス「ファイターとしての誇りは何よりも大事」

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80年代にブラジリアン柔術のライバルとして隆盛を誇っていたルタリブレ。

いまはすっかり廃れてしまった感があるが、そのルタリブレが誇る2大エースとして名を馳せていたのがウゴ・デゥアルチとこのマルコ・フアスだ。

マルコは"路上の王"の異名を持ち、全盛期にはかのヒクソン・グレイシーが対戦を避けていたとの話もまことしやかにささやかれるほどの実力者だった。



そんなマルコはブラジル時代に数々のバーリトゥードで無敗を誇り、その輝かしい実績を引っ提げて95年にUFC7でメジャーデビューを果たし、トーナメントを優勝。

その後、オレッグ・タクタロフに判定負けも、それ以外の試合には勝ち続けて98年のPRIDE.2で初来日し、ゲーリー・グッドリッジにヒールフックで一本勝ちして日本でも知られる存在となっていった。

だが同じ年に開催されたPRIDE.4(高田vsヒクソンの2戦目がメイン)で、世紀のアップセットとまで言われたvsアレクサンダー大塚戦でまさかの敗戦を喫し、その後は選手としてではなく、藤田和之や安田忠夫のコーチとして存在感を示していた。

そしてUFCやIFLなどで自身も選手として試合をするも、徐々にフェードアウトしていき、現在はカリフォルニア州コスタメサにあるジョー・モレイラのジムで週に1回のクラスを指導している。

いまロサンゼルスには至る所に柔術ジムはあるが、ルタリブレが学べるジムはこのマルコが指導を担当するクラスの他にないと思われるが、マルコも自身のプライベートスタジオを所有しており、そこではパーソナルレッスンとしてルタリブレが学べるようだ。

過去にはJiu Jitsu NERDの誌上でルタリブレ2大巨頭の一人であるウゴ・デゥアルチのインタビューを掲載したことがるが、このマルコはJiu Jitsu NERD&ブラジルブログとも初めてとなる。

"King of streets"マルコの貴重なインタビューを紹介したい。


──今日はルタリブレのレッスン、ありがとうございました。ルタリブレの技術も興味深かったです。

マルコ:私はルタリブレをメインにやっていたけど、キックボクシングやムエタイ、レスリングにカポエイラ、そして柔術も学んで、自分自身のスタイルを構築していったんだ。いわばこれが"フアス・バーリトゥードシステム"なのさ。

──柔術も学んでいたとは初耳でした。かつては柔術とルタは互いに憎しみ合って敵対関係にあったほど険悪な間柄でしたが。

マルコ:柔術はオズワルド・アウヴェスに師事して練習していた。その縁があってオズワルドがプロモートしていたマナウスのバーリトゥードにも2回、出場しているんだ。結果?もちろん勝ったよ。その後、95年にアメリカに移住することになって、それからはジョー・モレイラと練習するようになって、柔術の黒帯もジョー・モレイラから授与されたんだ。

──ルタはいろんな流派がありますが、誰に師事していたんですか?

マルコ:最初はカーロス・ブルノシーラだ。ブルノシーラのジムではウゴがチームメイトだったね。それからしばらくしてホベルト・レイタオンやジョン・ヒカルドのジムにも通うようになっていったんだ。そしてボクシングはルイス・アウヴェスの指導を受けていたよ。

──いまでもルタの選手たちと交流はありますか?

マルコ:もちろんだ。ペドロ・ヒーゾは数か月前にこのジムでセミナーしたし、常に連絡は取りあっているよ。

──個人的にペドロ・オタービオの消息が気になっているんですが、何か知ってることはありますか?

マルコ:あいつか…。ペドロは日本でフェイクファイトのオファーを受けて、その大金に目が眩んで自らの誇りと栄光を捨ててしまった。約束では2試合契約で最初に負けて次は勝って1勝1敗という話だったようだが、私はペドロに言ったんだよ、そんな約束は守られるはずがない、って。そしたら案の定、行われたのは最初の試合だけで2回目の試合の話はうやむやになってしまった。そしてペドロはインチキの試合をしたとしてルタリブレだけでなくブラジル中の格闘技業界から追放となってしまった。それで事実上の引退となってしまってそれっきりさ。

──そうだったんですね。ペドロ・オタービオがああいった試合をしてしまったのは残念でした。

マルコ:私だったら絶対にそんなオファーは受けない。ファイターとしての誇りは何よりも大事だからね。私が初めてバーリトゥードの試合をしたのは84年のことで、相手はカーウソン・グレイシーの黒帯であるフェルナンド・ピンドゥーカだった。他にはエジウニオ・タデウvsヘナン・ピタンギや、マルセロ・ベーリンギvsフラビオ・モリナなどがラインナップされた柔術vsルタリブレの果し合いともいうべき大会だった。当時のバーリトゥードは判定決着はなしで、どちらかがまいったをするまで決着がつかない過酷なルールで行われていて、まさに死を覚悟して戦いに挑んだものだよ。そのピンドゥーカとの試合は引き分けになったけど、ピンドゥーカは顔もボコボコで誰が見ても勝者は明らかだったはずさ。それがバーリトゥードなんだよ。そういった厳しい試合を勝ち抜いてきた私に、インチキ試合を行うなんてことは決してない。


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──では話を変えます。自身の選手としてのキャリアの他にコーチとしても素晴らしい選手を多数育成していますが、その中で誰が一番の選手でしたか?

マルコ:ペドロ・ヒーゾだ。あいつはオレがガキの頃から面倒を見ていてすべてを教えたと言っても過言ではない。まさに愛弟子といった存在だよ。まだ40代だし、またいい試合のオファーやチャンスがあれば試合をするんじゃないかな?

──日本人選手もたくさんコーチしていましたよね。

マルコ:ああ、そうだ。ジャパニーズといえば忘れられないのがヤスダだね。ヤスダは決してベストな選手ではなかったが、優等生ではなかった分だけ思い出深いな。ヤスダはギャンブルとタバコが大好きで、ホントにデタラメなヤツだったんだよ。何を教えてもできなくて、ほとほと困ったんで重要なテクニックを3つだけ教えたんだ。それでジェロム・レバンナと試合をしたときに前腕チョークを極めて勝ったろ?あれは私が教えた数少ないテクニックのうちの1つなんだけど、それをしっかり試合で極めたんだから凄かったよ。そしてスタミナがなくて、すぐに疲れるからタバコはやめろ!ってキツく言って、ヤスダもOK、OK、もう吸わないから!って約束した直後にジムの外で一服してたんだ。ホント、どうしようもないヤツだったよ。まあ憎めないキャラクターだったんだけどね。

■YouTube「安田忠夫の人生劇場 ヒクソンも恐れる路上の王マルコ・ファスとの思い出。」はコチラから!


──それにしても、もうすぐ60歳になろうというのに、これだけのグッドシェイプを維持してるのは素晴らしいです。


マルコ:ありがとう。いまでも自分の鍛錬は欠かしてないし、身体を動かすことは好きだからね。まだまだ老け込まないように頑張るよ!



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