2020年01月14日
訃報:ケンドー・ナガサキ
プロレスラーのケンドー・ナガサキこと桜田一男さんが1/12未明にお亡くなりになりました。
なんでプロレスラーの訃報をこのブラジルブログで?という疑問もおありでしょうが、後の方にブラジルやルタリブレに関するエピソードがあるのでご容赦ください。
この訃報の第一報が入ったのは1/12の午後、ロサンゼルス在住の山本大気からでした。
ここ数年、山本大気と桜田さんは親密な仲となっていて、桜田さんの自宅で鍋を食べたり、一緒に貝拾いに行ったりしていたそうです。
また大気が家族で来日した際には子供と一緒に出かけるなどして家族ぐるみでの付き合いをしており、大気と桜田さんはさながら親戚のおじさんのような間柄となっていました。
そんな大気に誘われて自分も1回だけ桜田さんと食事をする機会がありました。
昨年の9/25、奇しくも桜田さんの誕生日の前日に当時桜田さんが住まわれていた千葉の某駅で待ち合わせして桜田さんの行きつけという焼鳥屋さんへ行ったのです。
そのときにただのプロレスファン丸出しであれこれ聞くと、ときにははぐらかしながらもなんでも気さくに話してくれ、非常に楽しい食事会となりました。
現役時代の桜田さんはリングネームの通りに剣道をモチーフにしたキャラクターで竹刀を振りかざしてアメリカやカナダ、プエリトリコなどを渡り歩いてヒールレスラーとして一時代を築いたビッグネームです。
正統派のレスリングはもちろんのこと、金網デスマッチや有刺鉄線デスマッチなどの過激な試合もお手の物で、どんな試合にも対応可能という職人肌のレスラーであった桜田さんは日本のみならず世界中のマットで獲得したタイトルも数知れずという日本が世界に誇るプロレスラーのレジェンド中のレジェンドでした。
そして「ガチンコをやらせたら右に出るものはいない」というのがレスラー間の共通認識で、レスラーとしてはキャリア晩年になる47歳という年齢でヴァーリトゥード出陣をブチ上げてまさかの修斗参戦(95年9月・駒沢大会)を果たし、ジーン・フレイジャーとヴァーリトゥードルールで戦ったこともありました。
その大会ではアンダーカードで中井祐樹vsジャンジャック・マチャドの柔術マッチも行われており、その試合を目当てに自分も現地観戦してましたが、桜田さんは相手に組みつく前に打撃でやられてしまい、「やっぱプロレスラーはガチで強いといっても本職には敵わないんだな」と感じたのと同時に47歳でヴァーリトゥードにチャレンジするプロレスラー魂に驚嘆したのでした。
また桜田さんはこの試合の後にヴァーリトゥードの本場・ブラジルに当時の所属だった大日本プロレスのプロレスラーが出る大会(95年10月 バーリトゥード・ブラジルオープン)にセコンドとして行くことになりました。
そのとき調整として連れて行かれたという現地のジムで練習した際に「誰にも極められなかったし、たいしたことないな、と思った」そうです。
そしてそのブラジル遠征時に練習したときのことを深掘りして聞いてみると、詳細は覚えてなかったものの「柔術ジムではなくて裸で練習した」こと「日本ぽい名前のジムだった」とのことで、これらから推測すると連れて行かれたジムはジョアン・ヒカルドのアカデミア・ブドーカンではないかと思われます。
「誰にも極められなかった」とはいえ「1人だけデカくて強いやついた」というのがたぶんペドロ・オタービオではないかと思うのですが、当の桜田さんが「誰が誰だかわからないし、連れて行かれた先で練習しただけだから何も覚えてない」とのことなので、憶測の域を出ないのですが、その他の細かいエピソードを踏まえて推測するとかなり真実に近いのでは?と思っています。
日本初の柔術マッチである中井vsジャンジャックが組まれた大会でヴァーリトゥードマッチを行い、またブラジルのルタリブレジムで練習もしてる桜田一男さんはブラジルや格闘技に無縁ではない、という自分の独断でこの訃報をブログに載せさせて頂いた次第です。
自分はお亡くなりになる最後の数ヶ月しかお付き合いがなかった桜田さんですが、前述したとおりにとても気さくで気の良いオジさん、といういい思い出しかありません。
先週の1/5には実行委員会を務めさせて頂いていたプロレスコンベンション「闘強魂」にも快く参加して頂き、元気にファンサービスしている姿を見ていただけに、この突然の訃報には驚かされました。
享年71歳、亡くなるにはまだ早かったです。
ご冥福をお祈りします。
橋本欽也
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そんな大気に誘われて自分も1回だけ桜田さんと食事をする機会がありました。
昨年の9/25、奇しくも桜田さんの誕生日の前日に当時桜田さんが住まわれていた千葉の某駅で待ち合わせして桜田さんの行きつけという焼鳥屋さんへ行ったのです。
そのときにただのプロレスファン丸出しであれこれ聞くと、ときにははぐらかしながらもなんでも気さくに話してくれ、非常に楽しい食事会となりました。
現役時代の桜田さんはリングネームの通りに剣道をモチーフにしたキャラクターで竹刀を振りかざしてアメリカやカナダ、プエリトリコなどを渡り歩いてヒールレスラーとして一時代を築いたビッグネームです。
正統派のレスリングはもちろんのこと、金網デスマッチや有刺鉄線デスマッチなどの過激な試合もお手の物で、どんな試合にも対応可能という職人肌のレスラーであった桜田さんは日本のみならず世界中のマットで獲得したタイトルも数知れずという日本が世界に誇るプロレスラーのレジェンド中のレジェンドでした。
そして「ガチンコをやらせたら右に出るものはいない」というのがレスラー間の共通認識で、レスラーとしてはキャリア晩年になる47歳という年齢でヴァーリトゥード出陣をブチ上げてまさかの修斗参戦(95年9月・駒沢大会)を果たし、ジーン・フレイジャーとヴァーリトゥードルールで戦ったこともありました。
その大会ではアンダーカードで中井祐樹vsジャンジャック・マチャドの柔術マッチも行われており、その試合を目当てに自分も現地観戦してましたが、桜田さんは相手に組みつく前に打撃でやられてしまい、「やっぱプロレスラーはガチで強いといっても本職には敵わないんだな」と感じたのと同時に47歳でヴァーリトゥードにチャレンジするプロレスラー魂に驚嘆したのでした。
また桜田さんはこの試合の後にヴァーリトゥードの本場・ブラジルに当時の所属だった大日本プロレスのプロレスラーが出る大会(95年10月 バーリトゥード・ブラジルオープン)にセコンドとして行くことになりました。
そのとき調整として連れて行かれたという現地のジムで練習した際に「誰にも極められなかったし、たいしたことないな、と思った」そうです。
そしてそのブラジル遠征時に練習したときのことを深掘りして聞いてみると、詳細は覚えてなかったものの「柔術ジムではなくて裸で練習した」こと「日本ぽい名前のジムだった」とのことで、これらから推測すると連れて行かれたジムはジョアン・ヒカルドのアカデミア・ブドーカンではないかと思われます。
「誰にも極められなかった」とはいえ「1人だけデカくて強いやついた」というのがたぶんペドロ・オタービオではないかと思うのですが、当の桜田さんが「誰が誰だかわからないし、連れて行かれた先で練習しただけだから何も覚えてない」とのことなので、憶測の域を出ないのですが、その他の細かいエピソードを踏まえて推測するとかなり真実に近いのでは?と思っています。
日本初の柔術マッチである中井vsジャンジャックが組まれた大会でヴァーリトゥードマッチを行い、またブラジルのルタリブレジムで練習もしてる桜田一男さんはブラジルや格闘技に無縁ではない、という自分の独断でこの訃報をブログに載せさせて頂いた次第です。
自分はお亡くなりになる最後の数ヶ月しかお付き合いがなかった桜田さんですが、前述したとおりにとても気さくで気の良いオジさん、といういい思い出しかありません。
先週の1/5には実行委員会を務めさせて頂いていたプロレスコンベンション「闘強魂」にも快く参加して頂き、元気にファンサービスしている姿を見ていただけに、この突然の訃報には驚かされました。
享年71歳、亡くなるにはまだ早かったです。
ご冥福をお祈りします。
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