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高谷

2014年01月15日

高谷コラム:推薦図書「バイタル柔道」

昨年末、数年来絶版となっていた日貿出版社「バイタル柔道」投技編および寝技編が新装改訂・再版された。

言うまでもなく、東京五輪・リオ世界選手権・全日本選手権の3大タイトルを制覇した不世出の柔道家・岡野功による渾身のシリーズ。

柔道選手はもちろん、多くのブラジリアン柔術選手にとっても既読であろうが、今般の再版を機により多くの方に目にふれてほしい名著である。

アントニオ・ホドリコ・ノゲイラが愛読していたことも、記憶されるところだ。

ブラジリアン柔術選手にとって大いに参考となるのは、やはり「寝技編」であろう。

ある程度のレベルに達した柔道選手向けであったため、攻撃パターンといったものに紙面を割き、多くの柔道技術書に見られる抑え込みの形や逃れ方などの技術は割愛されている。

その分、ブラジリアン柔術ならばパスガードやスイープ、サブミッションとカテゴライズ、そのまま用いることも出来る技法が満載である。

加えて、立ち技から巧妙に寝技に持っていくような捨身技術や、「亀」へのアタック法などは、ブラジリアン柔術教則にはあまり掲載されないものであるが、だからこそ大いに参考となるのではないだろうか。

もちろん「投技編」も、大いに推奨されなければならない。

担ぎ技や足技、腰技といった投技だけでなく捨身や返し技、あるいは「脚取り」に関しても極めて実践的。

これもブラジリアン柔術教則では少ない「テイクダウン」技法解説として、ぜひとも取り入れ応用されてほしい。

初版からそれぞれの巻末に掲載されていたコラム、そして今回の新装改訂で付け加えられた柔道競技規則の変遷と岡野功インタビュー。

これらも全ての競技者、そして武人に必読の内容である。

特に、岡野功による「稽古」論は壮絶だ。

今なぜ「バイタル柔道」復活なのか?

実は、この書籍に掲載されている技術のいくつかは近年の柔道競技規則改訂により反則となっている。

幅が狭まっていく柔道競技へのアンチテーゼであろう。

そしてブラジリアン柔術のような、柔道と根を同じくする競技に応用されることも、名著復活の意義であるとも思えるのだ。

(文中敬称略)



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昨年12月に新装改訂された「バイタル柔道」投技編と寝技編。
初版はそれぞれ1972年・75年。
約40年に渡って読み継がれている名著である。


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2003年に日本スポーツ出版社より刊行された中井祐樹先生による「バイタル柔術」。
そのネーミングは間違いなく「バイタル柔道」のオマージュであろう。




高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
JBJJF公認A級審判員。

現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)
★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!
★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ

★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、43才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。

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【今日が誕生日の柔術家】レーザ・モンファラディ、アレッシャンドレ・フランカ・ノゲイラ(36)、エルビス・マチャド(36)



©Bull Terrier Fight Gear


2013年10月11日

高谷コラム:「柔術」を考える−「The Game of Ju-jitsu」

驚愕の一冊。

1906年(明治39年)、イギリスの「日本柔術学校」において指導をしていた谷幸雄と三宅タローによる技術書「The Game of JU-JITSU」が原文と対訳、さらに詳細な注釈をつけて「柔術の勝負−明治期の柔道基本技術−」として刊行されたのである。

谷幸雄については、かつて当コラム「もう一人のコンデ・コマ」その1 その2でも触れたが、前田光世などと同じく海外での他流試合を重ねた柔術家。

前田との交流も深く、同書では講道館柔道の修行暦もあるのでは・・とされている。

三宅タローも同じように海外雄飛を果たした柔術家であったが、後にはプロレスラーに転向し、マジソン・スクエア・ガーデンにも出場した。

昭和初期には外人レスラーを引き連れて日本での興行を行うなど、むしろプロレス史にその名を残している。

さて、同書では「明治期の柔道」または「講道館流寝技」として技術を紹介しながらも、谷・三宅とも「不遷流」を学んでいたことについてもしっかりと言及している。

「不遷流」は、これもかつて当コラム「柔術を考える・其の参」にて紹介していたが、精妙な寝技技術で知られている流派。

そして、いかにも講道館柔道といった足技を多く取り上げた立技部分と同じくらいのボリュームで寝技についてページを割いていることは、同書の特徴とも言えよう。

現在のブラジリアン柔術におけるマウント・ガード・スイープ・サブミッションなどについての解説は、それぞれスタンダードポジション1・2・ターンオーバー・ロックスと呼び名は違うものの、ほぼ共通するものであり、歴史的興味のみならず実践的な面でも我々に示唆を与えてくれるものであった。

谷幸雄と前田光世との交流、特に「日本柔術学校」で前田が指導に当たっていたという時期もあったことから、同書に掲載されている技術群は‘コンデ・コマ’前田光世のそれをイメージしてよいのではないだろうか。

前田が得意としたという袖釣り込み腰が紹介されていることからも、そのように思える。

そして、かつてエリオ・グレイシーがインタビューで語った「前田が(ブラジルで)教えていたのは、投げたら終わりのただの柔道」や「ガードポジションは私がつくったもの」といった内容に疑問符をつけざるを得ないとも感じ、現在のブラジリアン柔術技術の原型は、かなりの部分が前田の時点で確立していたのでは・・という説に辿り着くのである。

ともあれ、衝撃的な一冊であった。(敬称略)


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先月、三省堂書店より発行された
「The Game of Ju-jitsu・柔術の勝負-明治期の柔道基本技術-」。
原本は日露戦争直後の「日本ブーム」渦中に、
イギリスにて刊行されたもの。





高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
JBJJF公認A級審判員。

現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
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・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
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【今日が誕生日の柔術家】塩田歩(40)、クラウジオ・カラザンス(30)



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2013年07月14日

高谷コラム:「昭和62年・吉田秀彦」

先月、「全日本実業団体対抗大会」第三部にて、十数年ぶりに柔道の試合に出場した吉田秀彦。

齢43歳、筆者とは同学年である。

ブラジリアン柔術家にとっては2002年のホイス・グレイシー戦の印象が強い。

また、その後に数々のMMAファイトを闘った選手としても高名だ。

柔道家たちにとっては、何といってもバルセロナ五輪78キロ級で金メダルを獲得した際の得意技・内股のシーンが鮮烈であろう。

続きを読む

2013年05月15日

高谷コラム:推薦DVD「THE GRACIES AND THE BIRTH OF VALE TUDO」

このDVDはグレイシー一族のドキュメンタリーであるが、凄い作品。

これまでに観たことある映像ばかりでは・・という想像もしていたが、もちろん木村・エリオ戦などお馴染みのものも網羅しつつ、あまり公開されていなかったであろうシーンも満載である。

「GRACIE IN ACTION」も名作ではあるが、ヘンゾが製作に関わっている本作品は「ホリオン史観」に則ったものでなく、カーウソン・ホーウスらの映像も多く収録されている。

また、カーロスとエリオ、ホリオンとヒクソンらの間の確執についても言及。

収録映像で特に驚かされたのが、早世したホーウスのレスリング試合や、ヒクソンとのスパーリング風景など。

ホーウスの袖釣り込み腰で投げられたあと、寝技で食い下がっていく若きヒクソンの姿は衝撃的ですらある。

そしてホーウスの投げからは、前田光世も寝技への連携を考えて袖釣り込み腰を多用していた、というエピソートを想起させられた。
彼もまた早世してしまったが、ハイアンによる家の庭でのヴァーリトゥード映像も必見である。

現代のMMAが大いにかけ離れていった、闘いのシーンがそこにある。

グレイシー柔術がブラジリアン柔術に、ヴァーリトゥードがMMAに変貌した現代。

どちらがよいというわけではない。

が、この作品は一つのアンチテーゼとして、少なくとも全てのブラジリアン柔術家に観て欲しいと思わせる一本であった。(敬称略)



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見開きジャケット内には、グレイシー一族の系図が。
いつ見ても壮観である。


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高谷聡(こうたに・さとし)
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・昭和45年2月11日生まれ、43才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
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【今日が誕生日の柔術家】ホベルト・アレンカール爛肇ゥ奪記瓠32)、イザッキ・パイヴァ(26)


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2013年04月18日

高谷コラム:推薦図書「七帝柔道記」

先日、角川書店より「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の著者・増田俊也氏の新刊「七帝柔道記」が発売された。

BABジャパン「秘伝」の連載小説、待望の単行本化である。

本作は、増田氏の北海道大学柔道部での経験をほぼそのまま小説化したものであり、登場人物も一部を除いては実名であり、極めてノンフィクションに近い、実録小説ともいえるもの。

当時の北大柔道部や七帝柔道の雰囲気がリアルに描かれている。

そして特に、井上靖氏が自伝的小説「北の海」において表現した「練習量が全てを決定する柔道」・高専柔道の流れを汲んだ、過酷なまでの寝技練習の模様が凄みを持って伝わってくる。

「町道場」ではなかなか味わえない「部活」ならではの情熱がひしひしと伝わってくるが、「強くなる」ための方法論として、環境に関わらず確実に存在するものだと思う。

筆者としては、七帝の中で当時「超弩級」と言われていた紫藤選手や道崎選手たち東京大学の選手名が頻繁に登場していたことが懐かしかった。

母校と東大との定期試合や合同稽古において何度か胸をお借りした経験から、本作で描かれている強さはリアルであることを証言したいところである。

日本中の柔道家だけでなく、ブラジリアン柔術家にも推薦したい本作品。

最終的には中井祐樹先生が登場するはずの「七帝柔道記」続編は「秘伝」にて連載継続中である。

全編を通しての単行本化に期待しなければならない。



角川書店から待望の単行本化「七帝柔道記」。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」に続く、
増田俊也氏の力作!




高谷聡(こうたに・さとし)
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ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
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・昭和45年2月11日生まれ、43才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
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2013年03月02日

高谷コラム:「山嵐≠韓国背負い」

先日、道場にて所謂「韓国背負い」の研究を行った。

主に喧嘩四つ組み手の際に、相手の手前の襟を両手で取り、270度ほど回転して背負う技であり、時には腕が極まったようになり真後ろに倒れることもある、近年の柔道試合にて多用されている技術。

また、襟を取る手の片方は逆手で取ることもあるという。

その風景は筆者に、小説「姿三四郎」で知られる「山嵐」を想起させた。

「山嵐」は「姿三四郎」のモデルと言われる講道館草創期の四天王のひとり・西郷四郎が実際に得意とした技である。

が、その実態は必ずしも明らかでなく、いくつかの説がある。

講道館に残されている形は、釣り手で片襟を逆手でとり、払い腰のように払い上げて投げるもの。(写真2を参照)

主な異説としては、会津生まれの西郷が講道館柔道以前に学んだとも言われる「大東流」(合気道の原点であるが、とかく謎が多い流派)の技法を応用したというものがあり、それは大外刈りと合気道でいうところの「四方投げ」(腕を極めて相手をその後方に倒すもの)とをミックスさせたような形である。(写真3・4を参照)

「韓国背負い」には、これら二説との技法的な共通項があるように思えてならない。

まして西郷は、当時としては珍しかった左組みであったとされており、つまりほとんどの場合「喧嘩四つ」で闘っていたのだから・・

この「山嵐≠韓国背負い」説は、単に筆者による奇説にすぎないし、妄想ともいえるかも知れない。

だが、ここで思う。

技術は「伝承」されるものであることはもちろんだが、まずは「開発」されるもの。

同じように組み合って闘う武術においては基本的に同じ構造の人間、古今東西を問わず類似する技法が現出して然るべきであろう。

たとえば、高専柔道の技法を今に残した書籍や映像を観ると、グレイシー柔術以降の競技ブラジリアン柔術において使われ始めたテクニックに酷似するものが多いことに驚かされる。

創意工夫し「開発」することが何よりも重要なのだ。




日本の小野選手による「韓国背負い」がきまった瞬間。



90年代「空手道」誌において「姿三四郎」が扱われた際に掲載された、
講道館指導員による「山嵐」の実演。
演武しているのは筆者の恩師でもある坂下誠五段(当時)。




同じく「空手道」誌に掲載された、大東流応用説に基づいた「山嵐」。
演武しているのは、なんと中井祐樹先生!




会津にある西郷四郎の銅像。
「山嵐」の形は大東流応用説を採用。


壮年の西郷四郎と、義父である元会津藩家老・西郷頼母。
西郷頼母は、話題の大河ドラマ「八重の桜」において
西田敏行氏が演じているところである。






高谷聡(こうたに・さとし)
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2013年01月10日

高谷コラム:古典紹介「格闘技バイブル」

昭和63年の初め、ベースボールマガジン社より発刊。

著者は後の衆議院議員としても知られる松浪健四郎氏。

本著はプロレス雑誌から派生した「格闘技通信」連載のコラムをまとめたものであり、松波氏は多分にプロレスリングのスポークスマンとしての筆致に終始している。

が、今回再読して筆者が注目したのは、当時プロレスとのコラボによりその技術がクローズアップされていた、サンボの啓蒙に力を入れていた点である。

読み進めていくと第六章「柔道とサンボ」の章に至り、一気にその論調は活気を帯びていく。

「格闘技は学ぶことより発想しろ!」「サンボは技を創造する格闘技だ」「」近代柔道のサンボ化現象に時代の流れ・・」といった項目は、現代の我々ブラジリアン柔術に携わる者たちにも指針を与えてくれる、興味深いものである。

当時、筆者も同じであったが、本著などを読んでサンボをやってみたいと思った青年は多かったことであろう。

が、せっかく啓蒙者の存在がありながら肝心のプレイする場所が少なかったことは、日本におけるサンボ普及にとって致命的であった。

サンボとは違ったかたちで啓蒙されたブラジリアン柔術。

その道場がこれだけ存在する現状をみると、あの「サンボブーム」をもっと生かせていればと、専門家ならずとも勿体無く思うところだ。

今、サンボは来年行われるユニバーシアード競技として、久しぶりと言ってよい注目を浴びている。

素晴らしい体系を持つスポーツだけに、ブラジリアン柔術同様、日本においても大いに普及されていくことを願わずにはいられない。

さて、もちろんサンボの項だけでなく、全編を通じて興味深い一冊「格闘技バイブル」。

まもなく発行25年になる、色あせることない格闘技関連の名著である。




昭和63年、ベースボールマガジン社より刊行された「格闘技バイブル」。




前文には「パラエストラ」のルーツである
古代ギリシャ「パライストラ」に関する記述も。





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2012年09月06日

高谷コラム:古典紹介「続闘魂・高専柔道の回顧」

前回紹介した「闘魂」、高専柔道黎明期から大正末期までを描いたものであった。

続編の「続闘魂」はそれ以降から戦中に高専柔道がその歴史を終えるまでを描いている。

昭和初期、学生たちを襲ったマルキシズムによる左翼運動。

高専柔道も例に漏れず、多くの影響を受けたのである。

かの井上靖らが退部した四高をはじめ、各校で有力選手が対外試合に反対し柔道部から去って行った。

「続闘魂」はこのような激動の時代からスタートする。

しかしながらこの序盤以降、本書は高専柔道試合内容および結果を淡々と著す記録集という色合いが強い。

事実・戦績に裏打ちされた、名選手たちの実像が詳らかになるのである。

昭和初期、高専柔道界において郡を抜く強豪と言えば、まずは六高の野上智賀雄。

この野上、昭和2年の全国高専大会決勝に出場し、4人抜きの後に敵軍大将と引き分けと言う怒涛の活躍をみせた。

実は、野上が実際に高専大会にて試合をしたのはこの時だけであった。

チーム自体が強すぎて、大将に控える野上まで回らないのだ。

後には全日本選手権一般成年前期の部で優勝した野上。

木村政彦も「史上最強」の一人として挙げることになる彼の剛健は、本書の淡々とした描写ゆえに、余計リアルである。

さて、その木村政彦が登場するのが昭和11年の全国大会。

「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」に記されていた拓大予科の高専大会出場への複雑な経緯については、本書はそこまで詳しくは言及していない。

あくまでも試合内容・結果を残すことが重要であるというスタンスであろうか。

木村を擁する拓大予科はもちろん多くの試合において大将・木村に回さない戦力を誇っていたが、野上時代の六高よりは苦戦もあり、木村の出陣を余儀なくされていたこともある。

前年に続き全国制覇を狙った拓大予科は、準決勝で同志社高商と対戦。

大将木村登場の際には、敵軍は4人を残していた。

2人を抜いた木村は3人目の副将を30分の試合時間内で捕らえきれず、大将を残して拓大予科の敗戦となった。

このとき同志社高商の大将であったのは、これもまた剛健で知られた森本正一。

本書では「一説によると」としながらも、木村は無理に副将を抜いても疲労もあり森本には勝ち目がないと判断して引き分けたのではないかというエピソートを、これまた淡々と紹介している。

昭和18年、最後の高専柔道大会の描写を終えた後、本書はわずかに「大学高専いずれを問わず学徒は召集と勤労動員に引き出されて、道場は日とともに寂寥となり、かくて栄光の歴史と伝統に輝く高専柔道に終止符が打たれた。」とだけ記し、擱筆されている。

終始記録集と言う体裁の「続闘魂」であるが、だからこそ学生たちの激闘や高専柔道を見舞った運命をよりリアルに感じさせ、結果的には読み物としての凄みすら醸し出している。

「闘魂」よりは入手しやすいようであるので、機会あればぜひ多くの「寝技」愛好家の目に触れてほしい一冊である。
(文中敬称略)




湯本修治著「続闘魂・高専柔道の回顧」
昭和47年刊




送り襟絞めを披露しているのが、木村政彦も一目置いた実力者・森本正一。
そして受けは奥田義郎。
現在でも入手可能な日本武道館製作によるDVD「高専柔道」より。
(敬称略)





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・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。

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2012年05月22日

高谷コラム:古典紹介「闘魂・高専柔道の回顧」

大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、さらに劇画化が話題となっている「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」によって、さらにクローズアップされている木村政彦。

その木村は、純然たる「高専柔道」の選手であるとは言えないものの、そのファクターが技術体系のうち多くを構築しえていたことは事実であろう。

今回は、多くのかたがブラジリアン柔術との共通性に異論を唱えないと思われる、その「高専柔道」を描いた名著を紹介したい。

旧制松本高校OB・湯本修治著「闘魂」は昭和41年、続編となる「続・闘魂」は昭和47年の刊行。

今回はまず「闘魂」を紹介させていただく。

こちらは明治31年、東京の一高と仙台の二高との対抗戦が始まってから大正末までの記録・描写となっている。

当初は学校対抗の柔道試合といった点に特色があったわけであるが、徐々に寝技の優位性を取り入れるようになり、所謂「高専柔道」が本格的に確立したのは大正3年に「第一回全国高等学校専門学校柔道優勝大会」が始まったことによるようだ。

かの地ブラジルでは、前田光世が「柔術」を指導し、エリオ・グレイシーがこの世に生を受けて間もない頃・・

さて、同著に描かれた世界をお伝えするに文章力・量ともに不足とはなるが、筆者が印象に残ったエピソードをいくつか。

「引き込み」(文中では「引っ込み」)を認めるか否かに関する高専柔道側と講道館、はては嘉納治五郎師範との論争。

当世言うところの「膝十字固め」である「足の大逆」を合法として主張する岡山の六高と、反則とされる「足がらみ」(いわゆる「外掛け」により膝を捻る技法)と同じと反論する金沢の四高との、これまたルールによる紛糾。

三角絞めを用いて実際の試合で成果を上げた嚆矢とも言える六高・早川勝の活躍など・・

そして最たるものが、講道館にあって「常胤流」と言われる独自の寝技で知られた小田常胤が二高師範であった当時の、対する一高の逸話。

両校喧嘩腰とも言える状況下でやや戦力優勢にあった二高が一高に対し、小田の著作による技術書「柔道はこうして勝て」を送りつけたところ、一高は封を開けなかったと言う。

一方では互いにスパイを送って道場をのぞかせたりした当時にあって、闘いに応じる者の気高いプライドを感じさせるエピソードであった。

インターネットが普及する現代では考えられない、叡智を振り絞った技術開発を更新してきた高専柔道の選手達。

その努力と精神力が描写されているのが名著「闘魂」である。

現在入手困難ではあるが、筆者は運よくネットにて、かなりの書き込みや汚れの激しいものながら、比較的安価にて入手することが出来た。

再版は難しいものであろうが、ぜひ多くの柔道家、ブラジリアン柔術家の目にふれてほしいものである。

木村政彦が活躍、そして苦戦する昭和の高専大会について描かれた「続・闘魂」に関しては、次回紹介させていただきたい。
(文中敬称略)





昭和41年刊
「闘魂・高専柔道の回顧」



小田常胤が師範を務めていた二高の稽古風景。
動画サイトで「tsunetane oda」を検索すると、「寝技」を志向する者にとっての
基本技術を網羅した、秀逸な映像を観ることが出来る。




高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
JBJJF公認A級審判員。

現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)
★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!
★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ

★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、42才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
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2012年04月22日

高谷コラム:第六回全日本マスター&シニアを終えて

先月の3/25、駒沢オリンピック公園屋内球技場において「第六回全日本マスター&シニア選手権」が盛大に催され、筆者も僭越ながら出場させていただいた。

日本におけるブラジリアン柔術の普及発展を振り返ったとき、「マスシニ」はひとつのキーワードともいえよう。

基本的に全ての大会が帯別・体重別、そしてこの「マスター&シニア」カテゴリーが象徴的な年齢別にて行われるブラジリアン柔術競技。

老若男女誰しもが参加しやすい市民スポーツとして、理想的な構造を有している。

いっぽう例えば、柔道における「マスターズ」。

こちらも盛大に行われている大会ではあるが、筆者は出場経験こそないがサイト等で出場者の顔ぶれをみると、かつて「柔道エリート」としてトップを目指してきた者たちが年齢を重ねてもなおその情熱を燃やすための舞台として機能しているものと思われる。

決して、社会人となってから趣味として柔道を始めた・・という人たちの大会とは成りえていないものである。
IBJJF公式サイトによると「インターナショナル・マスター&シニア」大会が始まったのは1999年。

その年の記録こそアップされていないが、翌2000年の記録ではマルコ・バルボーザやムリ―ロ・ブスタマンチといったそうそうたる名前が優勝者に名を連ねている。

「ムンジアル」のマスター&シニア部門という定義づけこそされていないものの、「インターナショナル」大会の嚆矢として確固たる格付けをされてきた同大会。

世界選手権がアメリカ開催となった今も本場ブラジルのチジューカ・テニスクルービにて毎年開催されている。

筆者も2005年の茶帯時代に一度だけ参戦経験があるが、例年出場していたムンジアルに比べると同会場ながらはるかにのんびりとした牧歌的な雰囲気が流れていた。

ファビオ・グ―ジェウが観覧席で昼寝しつつ、試合では抜群の強さを見せていたものだ。

そういえば駒沢の球技場、どことなくチジューカ・テニスクルービに似た風情である……

日本においては、かつては全日本選手権にマスターやシニアのカテゴリーがあったりストライプル主催の「マスシニ」が開催されていたものだが、近年に至って「全日本」のマスター&シニア部門という格付けがなされ今回で六回目を数える。

今回、JBJJFブログにおいて大会の模様がかなり詳細に報じられている。

その中で「マスシニは一線を退いた指導者たちが年一回選手として現役復帰する舞台」旨の記述があった。

ぜひ来年以降、より多くかつての名選手たちの勇姿を拝見したいと思うとともに、自分自身も可能な限り続けて出場したい。

そして、多くの社会人ブラジリアン柔術愛好家にとって、意欲的に臨むことの出来る舞台であってほしいものである。(敬称略)




筆者のチームであるパラエストラ吉祥寺。
昨年の優勝に続き、今年は団体準優勝を果たすことが出来た。




高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
JBJJF公認A級審判員。

現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)
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・昭和45年2月11日生まれ、42才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
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【今日が誕生日の柔術家】フェルナンド・マルガリーダ、セオドロ・カナル



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2012年02月21日

高谷コラム:再度推薦「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」


以前にも同コラムで推薦した「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」。

最近また改めてその反響を感じている。

世間においても今月「週刊新潮」で紹介されていたが、また筆者の身近なところでも然り。

先日、母校柔道部において木村政彦と何度か乱取をしたことがあるという93歳の先輩とお話をする機会に恵まれた。

その先輩は、戦後唯一木村政彦が出場した昭和24年全日本柔道選手権において木村に腕がらみ‘キムラ’を取られて敗れた慶応大学卒・羽鳥輝久選手と好敵手であったという。

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2012年01月09日

高谷コラム:「メトード・カワイシに思う」

昨春に日本武道館より上梓された講道館図書資料部長・村田直樹先生による「柔道の国際化<その歴史と課題>」を熟読させていただいた。

「講道館柔道」正史の枠にとどまらない筆致が心地よく、資料性・物語性の両面において秀逸なる一冊である。(以下敬称略)

前田光世についても詳しいこの書籍において、ブラジリアン柔術指導者でもある筆者が思うところ大であったのは、現在世界最大の柔道国フランスにおける初期の柔道指導者・川石造酒之助の事跡と「メトード・カワイシ」と呼ばれる彼の指導法に関してであった。

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2011年10月15日

高谷コラム:「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」推薦とそれにまつわる古典紹介

このたび新潮社より単行本化された増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」が大変な話題である。

筆者も木村政彦を崇拝した1柔道人として、またブラジリアン柔術指導に携わる者として「ゴング格闘技」連載時には常に拝読していたが、この度改めて熟読させていただいている。

それにあたり僭越ながら今回、同書を推薦するとともに可能ならばぜひ併読をお薦めしたい「古典」を3冊ほど紹介したい。

筆者の個人的な思い入れなども含まれることをご容赦願いたい。


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2011年09月13日

高谷コラム:桜庭和志の復帰戦の相手、ヤン・カブラルと対戦した過去を激白!

9月24日、埼玉スーパーアリーナにおいて開催される「DREAM.17 」。

桜庭和志選手の復帰戦が話題となっている同大会、その対戦相手の名を聞いて驚かされた。

ブラジルのヤン・カブラル選手。

筆者が2006年、最後に出場したいわゆる「ムンジアル」において対戦、惨敗した選手であった。



ヤン・カブラル(アラーニャ柔術)


現在のところ最後のブラジル開催となっている2006年ムンジアル。

筆者は黒帯メジオ級に出場した。

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2011年06月21日

高谷コラム:「柔術」を考える・其の四 「海を渡った柔術と柔道」

さて今回のコラムは書籍紹介に等しいものである。

昨年出版された「海を渡った柔術と柔道」、一橋大学の坂上教授が編集した数名の識者の方々による共著。

「柔術」というものに関して筆者も全く知見のなかったエピソートが満載であった。

まず日露戦争後にアメリカで起こった日本ブームに伴った「JIU-JITSU」ブームに関して。

これは、後にブラジリアン柔術発祥の元となった前田光世=コンデ・コマによるいわゆる柔道宣揚、嘉納流柔術=講道館柔道の海外進出の流れも含んではいるものの、主にその他諸流派の輸出により起こったものである。

現在いうところの「古流」を長崎で学んだオブライエンなる人物が当時のルーズベルト大統領に柔術を指南したことにはじまり、東勝熊なる柔術家がニューヨークにおいて「プロレスラー」と他流試合を行ったことでそのブームは頂点に達したようだ。

プロレス界には柔術技術を取り入れた「JIU-JITSU WRESTLER」との異名を取った選手も登場した。

のちに来日、講道館柔道に挑戦したことで高名なアド・サンテルである・・

また、ブラジルと隣接するアルゼンチンやパラグアイに「柔術」を伝えた福岡庄太郎という人物に関しても、筆者は未知であった。

福岡が前田光世のごとくアメリカやヨーロッパを転戦し南米に至ったのは1906年、前田がブラジルの土を踏む9年前である。

現地のスポーツ協会に関わりつつ他流試合も行ったという。

上記以外にも諸国における「柔術」伝播のエピソートや講道館柔道の海外進出、さらにはサンボやブラジリアン柔術に関する項もあり、「柔術家」にとっては必読の一冊である。

これだけ多くの「コンデ・コマ」が存在したことにつくづく驚かされた。

この手の物語が今後更に発掘されていくことに期待するところである。(敬称略)



2010年刊行「海を渡った柔術と柔道」
青弓社





コンデ・コマこと前田光世(後ろ)と福岡庄太郎。
お互い他流試合行脚の途中、ニューヨークにて出会った。





高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認A級審判員。

現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)
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・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
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2011年05月15日

高谷コラム:悲劇の宰相

いわゆる東京裁判において、唯一の文官A級戦犯として絞首刑となった元首相・広田弘毅。

城山三郎の名作「落日燃ゆ」の主人公としても知られている「悲劇の宰相」である彼が、実は講道館柔道の強者であったことは一部ではよく知られていることである。

が、その実力が単なる「柔道をやっていた」というレベルにとどまらないことはさほど知られていないのではないだろうか。

広田は郷里福岡の中学校時代、民権から後には国権運動に力を注いだ政治結社・玄洋社の明道館道場で柔道を始めた。

当時から多くの優勝経験があったようだ。

上京し第一高等学校に入学してからは講道館に入門、勉学と同時に熱心に柔道修行に励んだ。

得意技は背負い投げと巴投げ。

講道館四天王の一人で「鬼」と呼ばれた横山作次郎からは「柔道の専門家としても充分にやっていける」と評価されていたという。

さて、柔道家としての広田弘毅の実像についていくつか挙げてみたい。

のちに寝技という分野において大輪の花を咲かすこととなる「高専柔道」、その始まりは明治31年に行われた一校対二高の対抗戦(二高の勝利)であったのだが、翌32年の第二回大会における広田の活躍が高専柔道関連の名著である湯本修治「闘魂」に記録されている。

「天下運動の覇王たる一高生の、空しく二高生に敗られしを聞き、嚇然として怒り、決然として怒り、遂に我軍に投ぜしなり」とされた切り札の投入であった。

勝ち抜き戦における大将から四番目・四将として登場した広田、戦況は互角で相手も四将であったが、ここを難なく巴投げで撃破。

巴投げを警戒する次の三将に対してもこれを背負い投げで破り、副将とは30分の戦いの末引き分け、一高勝利の立役者となった。

二段時には、後に十段となり柔道史にさん然とその名を残す佐村嘉一郎と学習院の柔道大会で対戦、佐村の左跳腰を巧みにさばいて右背負い投げで破ってみせた。

両者は講道館においてほぼ同期、同世代には前田光世もいる。

外交官を経て外務大臣・総理大臣を歴任した広田。

彼はその間、かつての好敵手・佐村らとともに講道館の評議員として名を連ねていた。

おそらくは講道館柔道のために有形無形の助力を差し伸べたことであろう。

近年、ブラジリアン柔術指導者の中にも政治に志すかたがおられるという。

いつの日かブラジリアン柔術の修行経験を持つ人物が国政の舞台に立つようなこともあるのだろうか。

それは間違いなく1アマチュア競技の普及・発展のためには大いに有益なことであろう。(敬称略)




宰相時代の広田弘毅




広田弘毅の生涯を描いた城山三郎のベストセラー「落日燃ゆ」。
まぎれもない名著であるが、政治家・広田弘毅を描く上で
あまりにも美化されているとの評価もある。





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2011年03月24日

高谷コラム:柔術を考える・其の参 

ブラジリアン柔術の特徴として秀逸なる「寝技」技術体系を持っていることは周知であろう。

同じように寝技の技術革新をなしえたスタイルに高専柔道があることもまた広く知られているところである。

これらは共に日本国内では講道館柔道経験者からしてより自由に戦えるという実感が愛好者増の要因となり、常に「柔道」競技のアンチテーゼとしてアイデンティティを確立してきた経緯があると言えよう。

ここで筆者は、明治期に「古流」柔術諸派が講道館柔道の後塵を拝していく中、「寝技」を武器に講道館に意地を見せた不遷流柔術の存在を想起する。

 江戸後期に「拳骨和尚」と呼ばれた物外和尚(新撰組局長・近藤勇を子供扱いにあしらったことで知られる)によって創始された不遷流。

その四代目の継承者であった田辺又右衛門が、当時警視庁武術試合などでの躍進を経て日の出の勢いにあった講道館に一泡吹かせようと郷里岡山から上京したのは明治23(1890)年、その後10数年に渡って警視庁の柔術世話係を務めたのであった。

その間、戸張滝三郎を二度にわたって絞めで降したのをはじめ後の十段・磯貝一と二度にわたって引き分けるなど、講道館の強者たちを再三苦しめた。

一説にはあの「姿三四郎」のモデル・西郷四郎も対戦を避けたと言われる。

田辺は後に講道館に対する自身の優位について以下のような内容を語っていたという。

「これはなにも私が特別に才能を持っていたわけではないのでありまして、畢竟、私の柔術そのものが講道館柔道より優秀だったというに過ぎないのであります。

 嘉納(治五郎)氏あたりの説によりますと、柔術は立ち技をするのが本体で、締めや逆はそれに付随しているものののごとくに説くのでありますが、氏のいわゆる柔道とい うような体操半分のものはそれでもよいのかもしれませんが、小を以て大を制し、弱を以て剛に打ち勝とうとする真の柔術は決してそうしたものではないのであります。

 真の勝負を目的とする柔術は、どうしても逆や締めを主体としたものでなければならないのでありまして、投げというものはそれに付随すべきものに過ぎないのであります 。

 巨大なる相手に対し、投げの一本やりで勝負が得られようと思う人はないでありましょうが、逆や締めのみをもってするものは決して不都合を感じないのでありますから、 単にこの一事に鑑みましても嘉納氏の説く柔道というものが、勝負法としては甚だ迂拙なるものであることがわかるであろうと思うのであります。」


田辺又右衛門による「柔術」論、まるでエリオ・グレイシー一族の言葉であるかのようだ。(ここで、嘉納治五郎が後に護身的観点から寝技の危険性について述べていることを付記しておく。)

ともあれ、不遷流を含めたいわゆる「柔術」が後にそれ以上広まりえなかったことを考えると、現代におけるブラジリアン「柔術」の逆上陸と普及については奇跡的な運命を感じる。

 以上、今回は間接的にブラジリアン「柔術」の存在価値を浮き彫りにしつつ、講道館「柔道」に関して現代まで一貫している論点についてもふれてみた。

武術ないし武道といったものの現代社会における立ち位置が「体操」つまりスポーツとしての形にあることが必須であることは間違いない。

ただ「勝負法」における有効性はさらに優先されるべき要素である。

筆者自身もスポーツ、つまりコンペティションとしての「ブラジリアン柔術」に重きを置いて接してはいるが、技術的な部分も含めて、改めて考えてみたいと思う。(敬称略)

 


講道館柔道を再三苦しめた不遷流柔術・田辺又右衛門の腕十字。
 
 
  

高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
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・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
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2010年12月18日

高谷コラム:「柔術」を考える 其の弐

恒例の高谷コラム、前回の『「柔術」を考える』の続編です。

★『「柔術」を考える』その1はコチラから!

全柔術家、必見のコラムシリーズの第2弾、ぜひご一読を!

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

「柔術」最古の流派として前回ふれた「竹内流」。

が、当時は「小具足」「和(やわら)」といった呼称が一般的であったようだ。

「柔術」と広く呼ばれるようになったのは17世紀半ばに登場した「関口流」からであったと言われる。

続きを読む

2010年11月10日

高谷コラム:「柔術」を考える

4月以降、実に半年以上ぶりとなる当ブログの人気シリーズ、高谷コラム、久々の更新です。

すっかり忘れ去られていましたが、地味に継続!

なにげにファンが多いこのコラム、今回のテーマはやや重い「柔術を考える」です。

いまや柔術はブラジリアン柔術として定着していますが、そのルーツはいわずもがな、日本の柔道、ひいては古流柔術にあります。

そのルーツを再考し、意味を自問自答する高谷氏。

全柔術家、必見のコラムです!

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2010年08月24日

REBELS-EX・大会総括

今夏、いろんな意味で話題をさらった柔術イベント「REBELS-EX」。

そのプロデューサーを務めたパラエストラ吉祥寺代表の高谷聡氏から大会総括が届いたので紹介しましょう。

今頃かよ?!というもっともなツッコミはご容赦を!

総括の最後に次回大会の予告もあります!



REBELS-EXプロデューサー
高谷聡(パラエストラ吉祥寺)
「だいぶ遅くなってしまいましたが、7月19日に開催いたしました柔術イベント「REBELS-EX」の総括を書かせていただきます。

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2010年04月03日

高谷コラム:名柔道家・神田久太郎 其の弐

 当コラムにおいて以前紹介した、53歳にして「アダルト」全日本柔道選手権で大健闘した神田久太郎九段。

その戦いぶりは、まるで現在柔道の世界で大激震を起こしているルール問題に一石を投じるかのような、「特異」な技のオンパレードであったという。

 神田はこの時代には珍しくなかったいわゆる古流柔術(楊心流戸塚派)から講道館柔道への転向組。彼の語り継がれる名勝負は大相撲出身のライバル・須藤金作との二度にわたる対決である。

 最初の対戦は昭和5年の第一回全日本柔道選士権大会・専門壮年後期(30〜38歳)の決勝戦。寝技も得意としていた神田はバックをとっての送り襟絞めなどで攻める。 

そして中盤、まさかの猫だましから「双手刈り」の奇襲、もろに受けてしまった須藤は、苦し紛れに抱え込みいわゆる「俵返し」で応戦した。

 タックルに対し帯取りなどで返した場合、現在のブラジリアン柔術ならば結果的に上になった選手にテイクダウンとしてのポイントを与えると審判規定に明記されているが、講道館柔道には当時はもちろん現在でもそのような定義はなく、投技としての効果の判断は審判員の眼力に委ねられている。

(その「審判員の眼力」という点で近年最も稚拙なミステイクがシドニーオリンピック・篠原vsドゥイエでのものであろう)

 非常に審判泣かせであったろう攻防の結果、自らの勝ちを確信していた神田は予想外の判定負けを喫することとなる。

 雪辱を期した二度目の対戦は昭和11年の第六回全日本・専門成年前期(38歳〜44歳)の決勝戦であった。

 神田は左組みから釣り手だけの内股で須藤の体勢を崩し、直後に右から肩車に入るという「特異」な技をみせた。

 筆者ももちろん映像や画像を見たわけではないがまるでサンボの試合のようなシーンが展開されたことであろう。

 さらに神田は肩の上でもがく須藤を通常の肩車と違う、自身の真正面に落としてみせた。

 これは古流柔術でいう「絹担」という技術であった。

 このような神田の試合振りを伝聞するだけでも、独自の研究を重ねた技術やそのキャラクターというものがその競技シーンを面白いものにし盛り上げてくれたということは容易に想像がつく。

 そういったことは現代でも柔道に限らず各スポーツ、もちろんブラジリアン柔術においても当然あり得ることであろう。
 
 昨年から柔道の国際大会では「直接脚をとる」行為が反則となった。

 それも一発で反則負けになるという厳しさである。

 神田が得意とした、そしてれっきとした「講道館柔道」の技術である双手刈りや肩車はほぼ絶滅という状態となった。

 正しい柔道や技術とは何かという本質的な議論が本題として検討された結果とはとうてい思えない。

 今後、祖先とも言える講道館柔道がたどったように世界に普及していかなければならないブラジリアン柔術。

 その競技性がくれぐれも本質を無視したパワーバランスや政治的な意図によって湾曲されることのないことを祈るばかりである。



昭和5年に神田九段が逃した全日本柔道選士権大会・専門壮年後期の優勝旗。




参考文献は「近代柔道」昭和62年4月号。
「昭和の三四郎」特集号で表紙は岡野功師。
筆者は高校3年になる時期であった。




高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認B級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。

王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)

★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!

★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。

☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ


★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、40才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。

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2010年02月20日

DVDレビュー:小室宏二「柔道固技上達法」上・中・下巻 by 高谷 聡

 今回は当コラムにおいて初めて、筆者が推薦する技術映像を紹介させていただく。

まずは先日、下巻が発売され完結した小室宏二氏の「柔道固技上達法」について。

ここで、タイトルの「固技」という語に注目してほしい。

当世、ブラジリアン柔術や高専柔道の主たる技術について「寝技」という表現を用いられることが多いわけであるが、講道館柔道においては「投技」に対して「固技」と表現されている。

組討技術であるからには、立姿勢と寝姿勢の境目は必ずしも明確ではないものであり、立っている状態での絞めや逆の技術も存在する。

「投技」と「固技」、言い得て妙な言い回しといえよう。

 この全三巻の構成としては、まず上巻において「固技」の基本練習(「エビ」をはじめとして、ブラジリアン柔術競技者にとってもお馴染みのムーブメント)から、小室氏の代名詞であるコムロック(正確には「腕拉ぎ膝固」からの展開か)と袖車絞め(もっともこれらについては概要のみを説明し、その詳細は氏の前作「ザ・コムロック」に譲るというスタンスである)、更には立〜寝の移行技術を解説している。

立〜寝の移行技術というジャンルに関しては「寝技」という概念で捉えていたならば中々出てこない発想であり、そのキャリアの大半を引き込みが反則であり「待て」のある競技規則にて戦ってきた氏の真骨頂ともいえよう。

中巻においては抑込に入る技術を紹介。

講道館柔道の固技には抑込の名称こそ細かく制定されているものの、それにいたる技術(例えば亀の返し方やブラジリアン柔術でいうところのパスガード技法)については俗称こそあれ正式な名称が制定されていない。

その中で「春日ロック」なるいかにも当世風で氏独特なネーミングが今後より多用される技法となった場合にどのように呼称されるのか、筆者には興味深いところである。

下巻においては代表的な絞技・関節技の要点を解説。

全体を通じて基礎的な理論と氏のオリジナリティ溢れる部分とがバランスよく収録されている印象である。


 さて、現在ブラジリアン柔術競技者の一部において、柔道選手は寝技を知らないという声を耳にすることがあるが、大いに反論したいところだ。

このDVDにおいてうたわれている「希代の寝技師・小室宏二」というフレーズにはもちろん依存の余地はないが、他にも多くの柔道選手が「固技」に関して精通し一芸を持っていることは筆者が経験済みである。

「固技」というカテゴリーのなかでそれぞれ競技規則があるものの「相手を制する」という共通項があるからには、ブラジリアン柔術も講道館柔道も根本的に同じ思想を持っているはずだ。


 かつて(現在でも)日本の柔道選手がサンボなどの技術から多くを学び(筆者的には好きな表現ではないが)欧米流「JUDO」に対抗してきたように、ブラジリアン柔術競技者が(日本の)講道館柔道の技術から学ぶことも多いはずである。

そういった意味においても、この小室氏のDVDはぜひ多くの競技者に観てほしい作品である。

最後に、各巻に収録されている氏の試合映像が公開用でなく個人的な記録らしきものであったことが、より緊迫感を感じさせ必見であることを付記しておきたい。




先月完結の「小室宏二・柔道固技上達法」全三巻。
すべての講道館柔道・ブラジリアン柔術競技者に
お薦めしたいシリーズである。




5年前に製作された「ザ・コムロック」も併せて
視聴いただきたいところだ。


☆「小室宏二 柔道寝技必勝法」購入は以下のリンクから!
 
上巻

中巻

下巻

ザ・コムロック






高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認B級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。

王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)

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★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、40才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。

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2010年01月24日

高谷 聡テクニック:亀からの展開・その2

昨日の続きで『亀からの展開・その2』を紹介します。

今回は亀になったときのリバーサルではなく極めにいくテクニックです。

高谷選手は実際に試合でこのテクニックを使って一本勝利したことがあるという実戦的なものです。




亀になった際に相手が絞めを狙ってきました。




まずワキを締めて相手の腕を抱えます。
ここまでは前回のテクニックと同じです。




腕を抱えたまま相手の体の下に潜るように入ります。




そこから頭を体の外に出し




ワキ固めのような状態になります。



そこから相手の腕を両手で握り




腕を極めます。




相手が前転で逃げようとしたら




ワキで腕を抱えたまま相手を前転させて




サイドポジションで抑え込みます。


このテクニックの動画です。





ケイタイからのアクセスはコチラから!


いかがだったでしょうか?

亀の状態からの2つのテクニック、ぜひ実践して大いに活用して欲しいと思います。



2010年01月23日

高谷 聡テクニック:亀からの展開・その1

当ブログでもお馴染みのコラムニスト、高谷 聡選手(パラエストラ吉祥寺)が得意とする亀の状態からのリバーサルを紹介します。

これは亀になったときに相手が絞めを狙ってきた際の対処法とそこからのリバーサル、そしてマウントポジションまでの一連の流れです。




亀になった際に相手が絞めを狙ってきました。




まずワキを締めて相手の腕を抱え、




横に肩から回転します。




反対側の手は相手のズボンのヒザ部分を握っています




相手が回転しきったらサイドポジションで抑えます。
が、このままでは上は取れましたがノーポイントです。




そこで相手の肩越しに帯、またはギを握りつつ、




相手を一気にまたいで




マウントポジションに移行して4ポイントです。



このテクニックの動画です。





ケイタイはコチラから!



明日は亀からの展開・その2を紹介します。


2010年01月22日

高谷コラム:名柔道家・神田久太郎 其の壱

当コラムにおいては前々回まで、ブラジリアン柔術競技における「マスター&シニア」カテゴリーの意義ともいうべき点を、講道館柔道の状況とあわせて論じてきた。

今回は、筆者もその姿勢を見習いたいと思う「アダルト」と「マスター&シニア」をまたにかけて活躍した昭和前期の柔道家・神田久太郎九段について紹介したい。(以下敬称略)

 以前にも述べたとおり、昭和5年に始まった「全日本柔道選士権大会」においては柔道をその生業とする「専門」とそれ以外の「一般」に競技者を区分した上で、それぞれ「壮年前期」「壮年後期」「成年前期」「成年後期」と、計8つのカテゴリーが存在していた。

「壮年前期」は20〜30歳未満、「壮年後期」は30〜38歳未満、「成年前期」は38〜44歳未満、「成年後期」は44歳以上、という区分けであった。

 現在のブラジリアン柔術におけるような、若いカテゴリーには出ることが出来る、といった規定はなかったようだ。

 満州の関東州庁で柔道教師を務めていた「専門」の神田は、34歳であった昭和5年の第一回大会から自らの年齢カテゴリーに積極的に出場、昭和6年の第二回大会で「壮年後期」(「壮年前期」ではかの木村政彦の師匠・牛島辰熊が優勝している)、昭和11年第六回大会40歳時に「成年前期」と、二度の優勝を果たしている。

 さてこの間昭和9年、「全日本」とは別に柔道史に残る大試合が行われている。

 「皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会」柔道競技。今上陛下ご生誕を記念した大会。

 この大会では「専門」「一般」の区分けに近い概念として「指定選士」「府県選士」を分けてはいたものの、年齢別カテゴリーは存在しなかった。

 当時38歳の神田は「指定選士」にエントリー、四つに分けられた予選リーグを突破して決勝トーナメント・天覧の部に進出している。そして準決勝も得意の「肩車」で一本勝ち、ついには決勝進出を果たしている。

 決勝こそ、予選リーグで牛島辰熊を破った大谷晃の背負い投げに宙を舞ったが、38歳での天覧試合決勝進出に昭和天皇はもちろん役員席にいたであろう講道館柔道創始者・嘉納治五郎師範も大いに拍手を送ったのではないだろうか。

そしてその戦いぶりにも…

 さらに驚くなかれこの神田久太郎、戦後第一回の昭和23年「全日本柔道選手権」(言わずと知れた現在でも続く柔道の最高権威、専門・一般や年齢、もちろん体重といった全てのカテゴリーをオープンとした大会である)に53歳で出場、しかも一回戦突破という壮挙を果たしているのだ。

 これまでにも、そして今後にも53歳での「全日本柔道選手権」出場は唯一であろうと断言されているところである。
 
 現在、30歳以上のブラジリアン柔術家の多くが「マスター&シニア」カテゴリーで競技生活を送っていることは素晴らしいことであるが、一旦その世界に定着してしまうとなかなか「アダルト」カテゴリーに出場しようという機会から遠ざかってしまうものではないだろうか。

 筆者自身にもその傾向を感じているところであるが、神田久太郎のような心意気を常に持っていたいものである。

 さてこの柔道家、当時から「特異技」の名手とも云われた独自のスタイルを持っていた。次回はその戦いぶりに触れてみたい。




今回の主な参考文献、昭和50年東京スポーツ新聞社から発行された工藤雷介著「秘録日本柔道」。
講道館による正史とは一線を画した「逆説の柔道史」ともいうべき一冊。
実に面白い!



高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認B級審判員。
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・昭和45年2月11日生まれ、39才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
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2009年12月25日

高谷コラム番外編:東京国際参戦記

 少し時間がたってしまったが先月の「第一回東京国際オープントーナメント」、筆者自身の試合について振り返らせていただきたい。

筆者が出場したのはマスター黒帯メイオぺサード級であった(アブソルート級は対戦相手がおらず一人優勝)。

当初申し込みしたのは筆者の年齢・体重とおりのシニア1黒帯メジオ級およびアブソルート級であったのだが、いずれも対戦相手がおらず階級変更を余儀なくされたものである。

前回のコラムに書いたとおり、今回の大会ではぜひともマスター&シニアに拘りたかったので、迷わずマスターで一人エントリーされていたメイオぺサード級を選択した。

 マスター黒帯メイオぺサード級にただ一人エントリーしていたのはアルゼンチンから参戦のセバスチャン・ムニョス選手。

ホイラー・グレイシーより黒帯を授かった、グレイシーウマイタ・ブエノスアイレスの支部長とのこと。

今年のムンジアルにも出場、緒戦でロイ・ディーン選手に敗退している。

試合前、筆者はその試合をyoutubeにて確認することが出来た。

小外刈りで2ポイント、そのままの勢いでパスガードに成功し3ポイントを追加したものの、後半失速しロイ選手の小手絞りに一本負けを喫したものであった。

それにより彼が立ち技において右組であること、そしてテイクダウンの攻防において後手にならないことが勝負のポイントであることを認識したのである。

さて当日、試合が始まり思ったとおり彼は右の釣り手から組み手を作らんとしてきた。

筆者は、彼の組み手の強さを測るために本来引き手である左(筆者は右組)で襟を持ち、距離をとってみた。

ところが、一回級上であるはずである彼と筆者との間には意外と体格差がなかったこともあり、思ったほどのプレッシャーを感じなかったのである。

そこで襟を取った左を本来の袖に持ち替え、彼の釣り手を切ってみた。

立ち技において相手の組み手を切ることが可能であった場合、大いに精神的優位に立つこととなるのは多くのブラジリアン柔術競技者が実感するところであろう。

筆者はこの時点で勝利を確信した。

セバスチャン選手が引き込むことにより寝技での勝負となったが、筆者はまずパスガードのアドバンテージを取り、さらにガードからオモプラッタを経て立ち上がってきたところを押し倒し2ポイントを追加(これがポイントとなったのは意外であったが)して勝利することが出来た。

さて、この東京国際での試合を振り返って、改めてブラジリアン柔術競技における立ち技の重要性を再認識した。

時にブラジリアン柔術を「寝技」と表現する場合があるが(多くは本格的競技者でないかたによるものである)、それは必ずしも本質を言い得てはいない。

そして、マスター・シニアといったそれぞれの実情に合わせたカテゴリーに参加することが出来るというブラジリアン柔術競技の奥行きを改めて実感した。

これは指導者として、いや柔術に携わっていく者として何よりの収穫であった。

最後に、セバスチャン・ムニョス選手は非常な親日家、フレンドリーな紳士であったことを付記しておきたい。

筆者より10歳年下であった彼と、いつの日か再会したいものである。

 

セバスチャンと筆者。


☆高谷vsセバスチャンの試合レポはコチラから!

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高谷聡(こうたに・さとし)
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・昭和57年、12才で武道を始める。
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2009年11月26日

高谷コラム:マスター&シニア◆\鐐綾斉擦鳳ける「マスター&シニア」

ブラジリアン柔術競技において欠かせないファクターである「マスター&シニア」。

それに比して、前回は現代柔道におけるマスター大会の状況を一部紹介した。

今回は戦前の柔道で確固たる存在感を示していた年齢別カテゴリーについて紹介したい。

毎年4月29日に行われている「全日本柔道選手権大会」。

言わずと知れた所謂「柔道日本一」を決める大会として体重無差別、そして当然のように年齢無差別で争われる大会である。

この大会は戦後昭和23年に始まったものであるが、戦前にはその前身として「全日本柔道選士権大会」が行われていた。

昭和12年から木村政彦氏が三連覇したことで知られる同大会、第一回大会は昭和5年11月に明治神宮外苑において開催されている。

さて、この第一回の「全日本柔道選士権大会」においては、なんと8人の「柔道日本一」が輩出されているのだ。講道館柔道創始者・嘉納治五郎師範は「全日本柔道選士権大会の意義」の中で、以下のように述べている。

「又専門選士と一般選士との区別を立て更に年齢に依って四つの区分を設けたのも、大に苦心の存した所である。

柔道の乱取を平素の業務として居るものと、単に趣味とか修養の為とかで練習して居るものとを、同様に取扱うことは當を得ないし、年齢の違ふものを対抗せしめることも避けたい。

血気盛りのものは同様のもの同士、老成練熟のものはさういうもの同士、試合せしめるが当然であると思ふ。

さういう訳で、色々と考へた結果、八種の優秀者を選び出すことにしたのである。」


このように、当時もっとも権威の高い大会に際して考案されたのが「年齢別」なのである。

さらには専門・一般の区分けに関しても、現在のブラジリアン柔術帯制度の意義を想起させる思惑がうかがえる。

ブラジリアン柔術のカテゴリー制度がこの影響をうけているかはわからない。

が、嘉納師範のこのアイデアが競技の世界において大いなる意義を残しえたことはまぎれもない事実であろう。

***************************************

今月末、いよいよ日本ブラジリアン柔術連盟主催「第一回東京国際オープントーナメント」が東京武道館において盛大に開催される。

筆者は今大会、多くのブラジリアン柔術家がそれぞれの生活や体力に応じたスタンスで競技生活を送ることを推進しうる世界・「マスター」カテゴリーに参加させていただく予定である。(本来のシニア1カテゴリーは試合不成立であった。)



戦前柔道において「マスター&シニア」カテゴリーを創案した嘉納治五郎師範。
今回の東京五輪招致問題においてもその事跡がクローズアップされた。



今回の参考文献「大日本柔道史」。
初版は昭和14年、戦前柔道史の資料として約1200ページにもおよぶ。
筆者所有のものは昭和59年に再販されたもの。



高谷聡(こうたに・さとし)
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2009年11月12日

ヒカルド・デラヒーバ柔術セミナーinパラエストラ吉祥寺

先ごろ、毎年恒例のデラヒーバカップ&セミナーツアーを終えて帰国したヒカルド・デラヒーバ先生。

せのセミナーを自身の道場で開催した高谷聡さんからセミナーレポートが届きましたので紹介します。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

さる11月3日、筆者が主催するパラエストラ吉祥寺道場にヒカルド・デラヒーバ先生をお迎えし、ブラジリアン柔術セミナーを開催することが出来た。

筆者は2003年、当時はリオデジャネイロのティジューカ・テニス・クルービーにて開催されていたムンジアルに紫帯で初出場、以後4年連続で渡伯しムンジアルやインターナショナル・マスター&シニアに出場したのであったが、最初に訪れたコパカバーナのデラヒーバ柔術アカデミーに縁を感じ、以後他のアカデミーを訪れることはなかった。

デラヒーバカップが日本で開催されるようになってからも、大会後に行われるセミナーになるべく参加するようにしてきたが、自分の道場にお招きすることが念願であり、今回それがようやく実現した形である。

ブラジルでの先生のクラスは、まずウォーミングアップがてら基本運動に始まり、テクニック練習。

これは1週間を通じて同じテーマを扱っていたようだ。

一日につき1つか2つ、時間にして約10分。

その後のスパーリングは先生の指名で組み合わせた相手と行う。

疲れているときは遠慮することが出来るフランクな雰囲気であった。

今回のセミナーでは、先生の代名詞ともいえるデラヒーバガードからの展開が中心となったが、じっくり時間をかけて技術を紹介いただけるのは、セミナーならではといえよう。

内容としては、まずデラヒーバガードの最初のフックが入りにくい場合のディテールから始まり、シンプルなスイ−プ。

応用として難易度の高い後転を用いたスイープなど、合計約10パターン。

追加として紹介したハーフガードからの後転スイープは、かつてホイラー・グレイシー選手を2度にわたって返したテクニックとのことであったが、筆者が後日youtubeにて確認した映像には、まさにその通りのシーンが展開されていた。

約20年前。

年代を考えるとまさに脅威の技術レベルと言えよう。

興味ある方にはぜひ一見していただきたい。

包み隠すことなく技術の細部までを紹介し、またセミナー後に参加者ひとりひとりと握手や記念撮影に応じる様は、まさに柔術界のリビング・レジェンドといわれる先生の人柄を感じさせる場面であった。

来年もぜひ開催したいものである。



道場生以外からも参加をいただき、20名以上の参加となった。




当道場の指導を務める植松直哉選手ももちろん参加。
デラヒーバ先生は、植松選手得意のパスガードをご存知であり、日本の柔術シーンについても造詣が深いことをうかがわせた。



高谷聡(こうたに・さとし)
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・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。

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2009年09月23日

高谷コラム:「第6回日本マスターズ柔道大会」

先月行われた日本ブラジリアン柔術連盟主催「第3回全日本マスター&シニア選手権大会」が大盛況に終わったことは記憶に新しい。

この「マスター&シニア」というカテゴリーによる大会、リオはティジューカ・テニス・クルービーにて開催され続けている「インターナショナル・マスター&シニア」の日本版であろう。

帯制度と並んで、ブラジリアン柔術ならではの競技者層の幅を広げているのがこの年齢別というカテゴリー分けである。

さて、柔道のほうにも30歳以上を対象とした「マスター」大会が存在する。

80年代からカナダを拠点に活動している「世界マスターズ柔道連盟」、その後日本国内ではその流れを汲んだ「日本マスターズ柔道連盟」が発足した。

「世界マスターズ柔道連盟」では今年のアトランタ大会で11回の「世界マスターズ大会」を、「日本マスターズ柔道連盟」では今月26・27日に大分にて「第6回日本マスターズ大会」を開催するという。

これらは国際柔道連盟や全日本柔道連盟とは一線を画した、極めて民間的な組織である。

ただ、国際柔道連盟においても今年ドイツにて初めて「世界マスターズ選手権大会」を主催するなど、今後こういったソフトには注目していく意向のようだ。

(ちなみにカテゴリーは30歳〜34歳までがM1、その後5歳ごとにM2、3・・となる。)

国内では、全日本柔道連盟が大々的にマスターズを取り入れる予定は今のところない。

過去には1952年(昭和27年)に講道館創立50周年記念全日本年齢別選手権大会が当時の蔵前国技館で、1972年には講道館創立70周年記念全日本年齢別選手権大会が講道館において開催されている。

その後行われていないのは、やはりオリンピック至上主義となっていった日本柔道の志向にそぐわなかったのであろうか・・

ブラジリアン柔術では確固とした存在感を示すマスター以上のカテゴリー。

日本の柔道においても特に30歳以上のベテラン競技者の活躍が目立つ昨今、このような流れが生じてきてもよいのではないだろうか。

次回以降は、戦前の柔道において毎年行われていた年齢別大会、そしてそこで活躍していたある選手についてふれてみたい。




今週末に行われる「第6回日本マスターズ柔道大会」。
やはりブラジリアン柔術と同じく、ひとつひとつのトーナメントは
あまり多人数にはならないようだ。




30年以上前の著者近影。
このいたいけな子供が30年後には胸毛&手毛の
手毛リータになってしまうのだから時の流れは残酷である。




高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認B級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。

王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)

★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!

★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。

☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ


★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、38才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。

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2009年09月13日

高谷聡テクニック:ワキ固めからのカウンターのストレートアームバー

さて3回に渡り紹介してきた高谷テクニックも今回で最後です。

最初に紹介したワキ固めからのカウンターのストレートアームバーです。




ワキ固めの状態から




相手が起き上がり前転してエスケープしようとしてきたら




そのまま腕を抱えたまま手首を強く握り




ストレートアームバーを極めます




自分の腕が相手のヒジの下にくるようにうまくコントロールして極めて下さい。



さてここで初の試み!

これまで紹介した3つのテクニックを動画で紹介します!






いかがだったでしょうか?

今さらながらYou Tubeのアカウントを作ったので、これからはどんどん動画をアップロードしていきたいと思います!



高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認B級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。

王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)

★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!

★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。

☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ


★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、38才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。

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