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選手名鑑

2010年07月13日

選手名鑑:イ・ジョンウ/Lee Jong Woo


名前:李延右(Lee Jong Woo/イ・ジョン・ウ)
生年月日:1977年11月5日
身長:170cm
体重:64kg
出身地:韓国・ソウル市生まれ

学生時代に体が小さいことを理由によく喧嘩をしかけられたのをきっかけに16歳(97年)でキックボクシングの練習を始めた。

2001年、キックボクシング&ボクシングのプロ選手としてデビュー。

2000年に柔道の練習を始め二段を取得。

2003年、韓国で初めてTV放送されたスピリットMCのレフェリーを務めた。

2002年に柔術の練習を体育館でスタート。

2003年にガンミョン市で自身のアカデミー「MEGA FIGHT GYM」を開設、ここでMMAの指導を始めた。

そして2006年に安山市で「AJC(Ansan Jiu-Jitsu Club)」を開設。

2008年、ブラジルのリオデジャネイロのデラヒーバアカデミーに3ヶ月の出稽古。

そこではブラジレイロの青プルーマで3位入賞を果たしデラヒーバに紫帯を認められた。

そして韓国に戻りデラヒーバコリアとしてリスタート。

現在、韓国に5つのアカデミーを運営、300人の門下生を持つ。

2010年6月、デラヒーバカップの韓国大会にて茶帯を認められた。


デラヒーバから茶帯認定証を受け取るイ・ジョンウ。




左から浜島邦明・デラヒーバジャパン代表、イ・ジョンウ、ヒカルド・デラヒーバ。



Ansan Jiu-Jitsu Club/Dela Riva Jiu-Jitsu Team
Sa-dong, Sangrok-gu, Ansan-si, Gyeonggi-do, Korea
426-170
031-410-9997
HP:http://cafe.daum.net/asmma


2010年01月28日

黒帯名鑑&インタビュー:小沼一平(RBアカデミー) Part.2



昨日の続き、小沼一平インタビュー・Part.2です!

今回は小沼さんの柔術的なキャリアからハワイ時代のこと、練習仲間だった有名選手のことなどを話してもらっています。

それではどうぞ!



──ここからは小沼先生の柔術歴についてお聞かせください。いつ柔術の練習を始めたのでしょうか?

小沼:柔術を始めたのは1999年です。
当時の仕事の仕入れでハワイにいたのですが、その時、キックボクシングでもやろうかと考えていました。
しかし、街を歩いていたところ、偶然ブラジリアン柔術アカデミーが目に飛び込んできました。
これは面白そうだと思って始めたのがきっかけです。


──ハワイのアカデミーはどこだったのですか?

小沼:当時は3つの名前を名乗っていましたね。
J-SECTハワイ、ルイス・ペデネイラス柔術、ノヴァ・ウニオン・ハワイです。
オーナーはジョン・ルイスでした。その道場はビルの閉鎖と共になくなりました。
現在はノヴァ・ウニオン・ハワイとして、レアンドロ・ニーザが活動しています。


──そのノヴァ・ウニオン・ハワイでは誰が指導していたのでしょうか?

小沼:最初の先生は、スティーブ・シウバです。彼はジョン・ルイス・アカデミーのヘッドインストラクターで、ロバート・ドライズデールの最初の師匠です。あとマーク・ライモンですね。
マークは現在はラスベガスにてコブラ会を主宰しています。
白帯から黒帯になるまで継続的に指導を受けたのはシャルト(ヘナート・ベヒーシモ)で、私が師匠と呼べるのはシャルトです。あとはバレット・ヨシダですね。


──マーク・ライモンといえばグラップリングでADCC王者ディーン・リスターやジェフ・モンソンを破っていますね。

小沼:そうですね、ディーン・リスターがADCCを制した頃に彼は勝利しています。
むしろリスターがマーク相手にあそこまで健闘できたことに驚きました。それぐらいマークは強かったです。
最後にスパーしたのは5、6年前に茶帯を巻いていた頃ですが、マークが今までスパーリングした中で最も強かったです。


──シャルト先生からはいつごろから指導を受け始めていたのですか?

小沼:青帯を取得するぐらいの頃から指導を受けています。
青帯から黒帯まで、帯はすべてシャルトからもらっています。
黒帯はシャルト自身が巻いていた物を貰いました。


──黒帯になるまでの期間は?

小沼:だいたい5年かからないぐらいです。
シャルトには、「4年で取れ」と、言われてました。シャルトやシャオリンが4年だったからそれを目指せと。
でも5年掛かりました。


──紫帯時代に大怪我で3度、膝の手術をしたそうですが、それがなければ4年で黒帯になれていたかもしれませんね?

小沼:それは仮定の話なのでわかりませんが、遊びや怠けの遅れと違い、怪我の遅れは取り戻せます。長い目で見る必要はあると思いますけどね。遊びは遊びで大事ですが。

──小沼先生はシャルトの最初の黒帯だそうですね。BJペンも彼の弟子ですが、そのBJですらシャルト先生からは黒帯を与えられていません。驚嘆です。

小沼:ありがとうございます。

──シャルト先生は日本の柔術家にとってはあまり馴染みが無いかもしれませんので彼についての話をお聞かせください。

小沼:ノヴァウニオンではシャルトほど才能のある選手はいなかったと、デデ先生が雑誌で言っていましたが、本当にそうだと思います。なぜなら彼はほとんど練習しません。
出会ってから彼のハードトレーニングを見た事がありません。
試合前に相手のビデオを見て「よし、後はビールを飲んでいれば勝てる」と言って指導しかしていませんでした。
UFCでカーロス・ニュートンに勝利した直前も、白帯相手に1日20分ぐらい汗を流し、それを週に2回程度。
マット・ヒューズも寝技では圧倒していますが、過去の貯金で戦えたのもそこまででしたね。その後は連敗していました。格闘技は甘くないです。


──ではバレットとの思い出について教えてください。

小沼:バレットと出会ったのは白帯の時です。
昼間、バレットのスパーリング相手をしていました。技の実験台ですね、当時は。
割と体格が近かったのと、私はノヴァで午前の練習を終えた後、、夜のクラスまで暇していたので、よく呼び出されました。当時は刃物突き付けられている様な、怖い関節技でした。


──BJペンとは練習していたりしましたか?

小沼:大会の度に会いましたが、練習は少しです。島が違うので。
彼がMMAに転向する際、最初の打撃の練習にも付き合いました。


──BJペンは現在、柔術出身ながら素晴らしい打撃技術を見せています。最初から打撃は上手かったのですか?

小沼:いや、そんなことはありません。
ただ、シャルトが言っていましたが、BJペンに対して同じ指示は2度出したことはないそうです。
本当に天才だと思います。勤勉ですし、負けん気の強い。
BJがストリートファイトで捕まり、シャルトが身元引き受人として警察行ったりもちょくちょくありました。
MMA転向前、喧嘩では既に打撃主体だったそうです。
自分よりも遥かに大きい人にも打撃で真っ向勝負していたそうです。シャルトから聞いた話ですが。


──ハワイ時代にはADCC王者のロバート・ドライズデールとも共に修行を積んでいたそうですね。

小沼:はい、青帯の頃までは練習していました。
彼はラスベガス道場のスティーブ・シウバが一時期ハワイに連れてきていました。
彼が18、19歳頃だと思います。
ロバートはやがてラスベガスに戻りましたが、私がラスベガスに行ったときに再会できました。
しばらく連絡を取り合っていたのですが、私が膝のケガで入院、ロバートもブラジルへ行ってしまい、連絡が取れない時期がありました。
本当に何年も連絡が取れずにいたのですが、2008年に柔術魂4でロバートの活躍を知りました。
たまたまその1週間後ぐらいに再びラスベガスに行く機会があり、スティーブに連絡をとっったらロバートもラスベガスに戻っており、再び再会でき、今でも良き友人です。


──今後の目標を教えて下さい。

小沼:指導者として時代に遅れないこと。アカデミーとしての目標は、大きな大会でのチーム入賞です。あと強いオヤジ軍団を作りたいですね。
昔の話ですがハワイで茶帯になった翌日、サークルで練習している42歳の紫帯の人とスパーをしたんです。
辛うじて引き分けに持ち込んで終えたのですが、その人の強さに驚きました。
後で友人から聞くと「彼の実力はとっくに紫ではない。パンナムも紫で2度優勝をしていて、2度目の優勝はアダルトでだったんだ」と言うんです。
その彼に話を聞くと、柔術のキャリアは6年で、「柔術はいい。あと2年くらいのんびりと紫をやるよ」と、言っていました。
36歳から始めて、42歳でその強さ。柔術の素晴らしさを目の当たりにした瞬間でした。
だからもっと中高年の人達にも楽しんでもらいたいです。個人の目標はいつか宝くじ売り場を経営してみたいですね(笑)』





text by Takashi Umezawa



2010年01月27日

黒帯名鑑&インタビュー:小沼一平(RBアカデミー) Part.1

今日は昨日のRBアカデミー道場紹介に引き続き、アカデミー代表の小沼一平先生へのインタビューをお届けします!

道場設立までの軌跡やハワイでの修行時代のエピソード、シャルト先生やADCC王者ドライズデールの話など貴重な話題が盛り沢山です!

まずは「黒帯名鑑」のプロフィール、それからインタビューを紹介します。



名前:小沼一平
所属:RBアカデミー
国籍:日本
出身地:横浜市
身長:176cm
体重:78kg
血液型:B
現在の居住地:横浜

帯の履歴:
青:1999年11月 
紫:2000年12月 
茶:2002年1月 
黒:2004年7月 
すべての帯をへナート・ベヒーシモから授与される。

いつ柔術をはじめたか:1999年9月
なぜはじめたか:格闘技好きだったので
柔術以外のスポーツ歴:サッカー
1週間でどれくらい練習しますか:今は指導のみで、月に30分くらいです

主なタイトル:
インターナショナルグレイシートーナメント 白レービ優勝
ハワイステートチャンピオンシップ 青帯レービ 優勝
ハワイステートチャンピオンシップ 青帯レービ 優勝
ポテトチップス早食い競争優勝
NAGA NO-GI 77K優勝
NAGA GI 2年以上の部77K 優勝
ホクソングレイシー追悼トーナメント紫帯以上、アブソ-ルート3位
アロハステートチャンピオンシップ 紫帯以上 アブソルート2位
これからの目標:遊びと柔術を半々で教えて行きたい。



──まず最初にアカデミーの設立までの話を聞きます。活動を開始したのはいつだったのでしょうか?

小沼:2002年のバレンタインデーにサークルとして、たまプラーザ周辺で活動し始めました。
市が尾駅に常設道場を構えたのは2003年の2月です。


──どうしてサークルを始めたのでしょうか?

小沼:いつか道場はやりたかったので、その第一歩として、ですね。メンバーは知人、友人、入院中に病室で仲良くなった人達などです。サークルの良さはチーム感ですね。練習後は必ずファミレスで食事をしていました。
当時はドウギも高かったから強要出来なくてグラップリングでした。
でも、皆がより寝技に興味を持ち出したので、
自然と全員がドウギを購入してくれ、完全に柔術にシフトチェンジ出来ました。


──サークルを始めた当初のエピソードはありますか?

小沼:借り始めは武道場が畳だったのに、途中から板の間になって困りました。
練習の度に倉庫から出し入れしなくてはならなかったので。


──サークルから常設道場に移行した経緯を教えて下さい。

小沼:サークル活動をしていて人数が増えだしてきた頃に、その中に不動産屋のメンバーがたまたまいたんです。
その人が半ば強引に良い物件を紹介してくれて、縁あって設立に至りました。
物件を取得してから、内装工事などは職人の友人に協力してもらいつつ、すべて自分でやりました。
設立時に業者は1つも入っていません。金銭的な事情ですが。


──RBアカデミーのクラス分けについて教えてください。

小沼:柔術クラス以外は、キックボクシング、ボクシング、グラップリング、子供クラスがあります。ボクシングとキック、子供クラスは別の先生が指導しています。テクニックとスパーリングの割合は2:1ぐらいですね。
スパーリング後は補強もやっていますよ。
会員の年齢層は小学校一年生から50歳までで幅広いです。道場内イベントも豊富で花見やバーベキュー、忘年会、新年会(餅つき)などを催して貰っています。名幹事に、ですが。もちろん参加は任意です。


──出場する大会は先生が決めているのですか?

小沼:大会はすべてアカデミー内で告知し、そこで出場者を募ります。
時には静岡や愛知などへも遠征しますよ。



今日はここまで!

明日はインタビュー part.2をお送りします!



text by Takashi Umezawa



2010年01月17日

黒帯名鑑:レアンドロ・ニーザ(Leandro Nyza)


名前:レアンドロ・ニーザ(Leandro Nyza)
所属:ノヴァウニオン
国籍:ブラジル
出身地:ブラジル・リオデジャネイロ
身長:162cm
体重:65kg
血液型:B+
誕生日:1977年10月11日
現在の居住地:ハワイ
帯の履歴:ウェンデウ・アレクサンダーから99年に黒帯を授かる。



ノヴァウニオンの黒帯であるレアンドロ・ニーザは8歳の頃に柔術を始めた。

同じ時期に柔術の練習をスタートしたレオ・サントス&ヴァグネイ・ファビアーノの兄弟とは仲がよく、練習、私生活とも一緒の時間を過ごしていたという。

そんなニーザのことをレオ・サントスに聞くと「あいつはあのままブラジルに残っていたなら間違いなく世界王者になっていたはずだ。とても才能のある男だった。」と高く評価していたのが印象的。

レオの話のように黒帯を取得してすぐにBJペンに練習パートナーとしてヘナート爛轡礇襦璽鉢瓮戰辧璽轡發閥Δ縫魯錺い飽椽擦靴織法璽供∋椎阿覆ら黒帯でのメジャーな実績はない。

だが豊富な経験に基づく数々のテクニックと実力はBJペンが練習パートナーとして呼び寄せるに十分なものだった。

当初、ハワイにはバケーションがてらの滞在と考えていたようだが、そこでガールフレンドができ、結婚したことでハワイに骨を埋める覚悟でいる。

現在は選手としてはヒザの怪我のことがありセミリタイア中ではあるが、もう1度MMAの試合に出たい、との意向もあるようだ。

実際、MMAの経験もあり初期のWECなどで2戦し2連勝、2試合ともサブミッションでの一本勝利という実績を残している。

今後の目標を「MMA復帰と自身の生徒から黒帯を輩出すること」というニーザ、誰からも好かれるナイスガイだ。

五味選手や石井慧選手もハワイに行った際にはHMCを訪れてニーザのクラスを受講していたようだ。

もし観光でハワイに行ったらぜひニーザのクラスを受講してみて欲しい。

その人柄に触れたらファンになること請け合いだ。


☆五味選手のハワイ滞在時のブログはコチラから!

☆石井選手のHMCでの練習の様子はコチラから!


☆ニーザのMMA戦績はコチラから!

☆テクニック紹介はコチラから!

☆ニーザが指導するHMCのサイトはコチラから!

☆HMC・日本語版サイトはコチラから!



『Fight&Life vo.14』
ニーザのインタビュー&テクニックが収録されている
「Fight&Life」はコチラから!



2009年12月20日

選手名鑑:ラルフ・ゴー(RALPH GO)


名前:ラルフ・ゴー(RALPH GO)
所属:ATOS・VPF
国籍:フィリピン
出身地:マニラ
身長:183cm
体重:75kg
血液型:A
誕生日:1985年11月7日
現在の居住地:マニラ
帯の履歴:青&紫→ジョン・オウワノ、茶→荒牧誠



2003年の11月に当時滞在していたアメリカ・ロサンゼルスにて柔術を始める。

最初のアカデミーはジョン・ラミレツやキモノメーカー、オウワノの社長であるジョン・オウワノが所属するニューブリード。

そこで青帯、紫帯を取得する。

その後、ニューブリードから離れフリーランスとなり仲間内で練習をするサークル的な活動をしながら試合に出ていた。

そして2008年、荒牧誠と出会ってその実力が認められて茶帯を巻く。

茶帯を巻いた翌月にアジアチコ2008に初来日するが、思ったような結果は残せずに終わった。

今年はブラジルへ赴き、サンパウロ・リオクラーロのATOS柔術で2ヶ月間滞在。

そこでメンデス兄弟やドゥリーニョ、ハモン・レモスらと充実した練習の日々を送り、フィリピンに帰国後、自身のアカデミーであるVPFはATOSのアソシエーションとして活動することになった。

来年にはまた柔術修行と大会出場のためにブラジルに渡る予定。

噂では実家が超がつくほどのお金持ちらしい。




2009年12月02日

黒帯名鑑:ダニエル・チェルビン(Daniel Cherubin)


名前:ダニエル・チェルビン(Daniel Cherubin)
所属:チェルビン柔術/ピーター・デ・ビーン柔術アカデミー
国籍:オーストラリア
出身地:トーキー、ヴィクトリア
身長:190cm
体重:96kg
誕生日:1981年11月26日
現在の居住地:オーストラリア・ヴィクトリア
黒帯:2007年11月、ピーター・デ・ビーンより授与



東京国際2009に来日しスペルペサードで優勝認定、アブソルートでは優勝したJTと激戦を繰り広げ4−2で敗れるも3位入賞を果たす。13歳のときに友人宅で見た「グレイシー・イン・アクション」のビデオを見て柔術を始めたダニエルは柔術歴15年を誇る。師匠は2003年に日本で開催されたプロ柔術「DESAFIO」に来日したことがあるピーター・デ・ビーンで黒帯もピーターから授与される。現在はホームタウンであるオーストラリアのヴィクトリアにてチェルビン柔術を主宰する。主な戦績は2000年のムンジアルで青帯メイオペサードで3位入賞(ホジャー・グレイシーに敗れる)の他、ヴィクトリア王者、オーストラリア王者、パン・パシフィック王者とオーストラリア地区のタイトルを総ナメにしている。ブラジルでの修行経験もあり、ブラジルではホレッタに師事。将来はブラジレイロ王者になること、と言い、なぜムンジアルではなくブラジレイロか?と問うと「自分にとっては世界タイトルよりブラジリアンタイトルの方が価値がある」と、ちょっと違った価値観を持ってるようだ。


★東京国際2009:JTvsダニエル・チェルビン

★東京国際2009:フェデリコ・ビザム・ブルムvsダニエル・チェルビン



東京国際2009で黒アブソ3位入賞




ムンジアル2000・青メイオペサード表彰台、右端がダニエル



Daniel Cherubin vs Thiago Braga Australia cup 2009


関連リンク:Cherubin Jiu Jitsu opens for training




2009年11月29日

黒帯名鑑:セバスチャン・ムニョス(Sebastian Munoz)


名前:セバスチャン・ムニョス(Sebastian Munoz)
所属:グレイシー・ウマイタ
国籍:アルゼンチン
出身地:アルゼンチン&リオデジャネイロ
身長:171cm
体重:85kg
誕生日:1979年11月30日
現在の居住地:アルゼンチン・ブエノスアイレス
黒帯:2007年12月末にホイラー&ホウケル・グレイシーから授かる



東京国際2009に初来日。マスター黒メイオペサードに出場もワンマッチ決勝で高谷聡に敗れる。17歳のときのテレビで見たUFCでのホイスの活躍に衝撃を受けて柔術を始める。柔術歴は12年でリオデジャネイロのグレイシーウマイタにて練習をして帯を認められていった。現在は母国であるアルゼンチンに帰国し、ブエノスアイレスにてACADEMIA GRACIE BUENOS AIRESを開設、代表を務める。アルゼンチンの大会で黒帯のアルゼンチン王者に2度、輝く。つい先日、ブラジルのフロリアノポリスで開催されたSouth American Championshipの同階級で3位入賞も果たしている。また総合の経験もあり、2003年にRoman Mendozaと戦い、これに勝利して1勝の戦績を残している。趣味はサッカー。勉強中という日本語をカタコトながら話す親日家である。

東京国際2009