2007年02月
2007年02月28日
btbrasil at 17:05 Permalink
ep3.アウテンチャソン(autenticasao)

それはパスポートのオフィシャルコピー、ポルトガル語で「アウテンチャソン(autenticasao)」というものを作ってください。
これは一見するとただのパスポートをコピーしたものに見えますが、ちゃんと公式に通用するものです。
みなさんは「そんなものよりパスポートを持ち歩けばいいだろう!」
とお思いでしょうが、そこはブラジル。
なにがあっても不思議ではありません。
街中で襲われ荷物を獲られたら?
バスや電車でスラれたら?
ちょっとしたスキに置き引きにあったら?
言い出したらきりがないほど危険はありふれているのがブラジルです。
そんなバカな!
と思うことが普通に起こります。
しかもかなりの確立で!
ブラジルでは注意に注意を重ねるぐらいで調度いいのです。
ですから万が一に備えてオリジナルのパスポートを持ち歩くのは避け、このアウテンチャソンを作っておきましょう。
このアウテンチャソンはある程度大きな町にならば必ずあるという「カルトーリョ(cartorio)」という公証役場的な役割を果たす場所で簡単に作れます。
カルトーリョの場所は滞在先のホテルや近くのジューススタンドなどで聞けばすぐにわかるでしょう。
そこにパスポートを持って行き、コピーしてもらい、そこにオリジナルである証明のシールを貼ってもらえば完成です。
費用もさほどかからず10レアル(約500円)ほどです。
これを肌身離さず持っていればOK、悪徳警官に
「パスポートないなら有り金を全部よこせ!」
なんて無用のトラブルも避けられます。
もし盗られたり紛失してもオリジナルではないので安心です。
これからブラジルに行こうと思っているみなさん、到着したらまず「アウテンチャソン」。
これを忘れずに!
★画像のものがアウテンチャソン。
パスポートのコピーに証書のようなものが張ってあるのがわかりでしょうか?
こんな簡単なものでも公式の身分証明書として通用します!
text & photograph by Kinya Hashimoto
2007年02月23日
btbrasil at 19:11 Permalink
シャオリン、「HERO’S」デビュー!
2007年02月22日
btbrasil at 13:27 Permalink
チジューカ・テニス・クルービ

試合も無事に?終わり気分は一気に観光モード。
せっかくブラジルに来たのだからブラジルの道場めぐりをしよう!
ということになりました。
試合を早々に終えた一行は夕刻のチジューカを後にして、当時発売された雑誌「Number」のブラジル特集号を頼りに、
あっち行ってキャー、こっち行ってワーと完全におのぼりさんの観光客と化し、
面白おかしくブラジルを満喫していました。
そしてちょうどいい塩梅で向かった先はチジューカ近辺にあるという、焼けど男として有名なジョイユ・デ・オリヴェイラが所属する
「アカデミア・ブドーカン」。
ここはチジューカから車で10分ぐらいの近さにあるといことがわかり、早速タクシーで向かいました。
ブドーカンではジョイユがいきなり現れた日本人一行を歓迎してくれ、道場内を案内してくれました。
さらに
「練習していけよ!」
いう熱烈な誘いも受けたのですが、それは丁重に断り、ブドーカンをあとにしました。
そして次の行き先はマッハと激闘を繰り広げたマセロ・アグアがいる「アカデミア・ボクセタイ」です。
またタクシーで向かったのですが、ここで初めてブラジルの恐怖を味わうことになりました。
タクシーの運転手が
「ここがそうだ」
と車を停めた瞬間、現地人の集団にタクシーの周りを取り囲まれ、タクシーは動くに動けず、かといってこんな状況では降りるに降りれずと立ち往生状態になってしまったのです!
運転手は
「ここがお前のいう目的地なんだから降りろ!」
と怒り顔で言うし、現地人はタクシーをバンバン叩いて興奮してるしでこんな状況で降りられる訳はなくタクシーの車内はパニック状態。
そこでなんとかタクシーを動かしてもらい、宿泊先であるコパカバーナに逃げ帰ってきました。
帰りの車内でタクシーの運転手が
「あそこがお前の言う目的地だぞ。なぜ降りなかった?」
と真顔で聞いてきたので
「降りろったって降りられるわきゃなーよ!降りたら殺されるよ!」
というと
「オレもそう思う」
と一言。
だったら聞くなよ!
とも思いましたが、なんとか無事に帰ってこれたのでよかったです。
実害はなかったのですが、この体験は今も楽しかったことばかりの初ブラジルにおいて唯一の恐怖体験として強烈に覚えています。
今にして思えば前に
「ムンジアルの会場があるチジューカ付近は決して治安がいいとはいえないから気をつけろ」
と言われていたのを思い出したのはホテルに帰ってきてからのことでした。
そう、初めてのブラジルに浮かれていた一行は滞在4日目を過ぎたあたりから、ブラジルに慣れたと勘違いし、注意を怠っていたのです。
そんな自分達にこの体験は思い切り冷水を浴びせかけられた思いでした。
ブラジルのほとんどは愉快で楽しく、快適です。
しかし、一歩間違えばこのような狂気が顔をのぞかせる、それもまたブラジルです。
この体験以外にもブラジルでは何度か怖い体験をしているので、それはまた後々紹介したいと思います。
★画像はムンジアルの会場、チジューカ・テニス・クルービ!
でもこの付近は危険地域なのでご注意を・・・。
2007年02月19日
btbrasil at 20:51 Permalink
マルセロ・ガウッシア、快進撃は止まらず!
マルセリーニョは現在、ニューヨーク在住でアリアンシのニューヨーク支部で指導に当たっていますが、先月下旬にブラジルに一時帰国し1/27に開催されたプロ柔術「ルタカザーダ」で試合をし、ホムロ・バハル(グレイシーバッハBH)に快勝したばかり。
精力的に試合をこなしているマルセリーニョは寒いニューヨークでも絶好調のようです。
今年のADCC本戦ではマルセリーニョの牙城を揺るがすような選手は出てくるでしょうか?
ニュースリンク:グレイシーマガジン
http://www.graciemag.com/?c=144&a=6447
text & photograph by Kinya Hashimoto
2007年02月18日
btbrasil at 11:46 Permalink
ヴィトー・ベウフォート、Cage Rage 21出場へ
2007年02月14日
btbrasil at 21:04 Permalink
ADCC2007

決定している選手が発表されています。
日本予選は4/15に開催され日本代表選手が決定します。
65kg以下
1- レオ・ヴィレイラ/LEO VIEIRA
2- マーシオ・フェイトーザ/MARCIO FEITOSA
3- ロブ・ディセンゾ/ROB DI CENSO
4- ハニ・ヤヒーラ/RANI YAHIRA
5- ハビエル・バスケス/JAVI VAZQUEZ
6- シンプソン・ゴー/SIM GO
7- ブルーノ・フラザト/BRUNO FRAZATTO
76kg以下
1- マルセロ・ガウッシア/MARCELLO GARCIA
2- パブロ・ポポヴィッチ/PABLO POPOVICH
3- ヘンゾ・グレイシー/RENZO GRACIE
4- サウロ・ヒベイロ/SAULO RIBEIRO
5- デニス・ホールマン/DENNIS HALLMAN
6- ネルソン・モンテイロ/NELSON MONTEIRO
7- マーク・ボセック/MARK BOCEK
8- アンドレ・ガウヴァオン/ANDRE GALVAO
87kg以下
1- ホナウド・ジャカレ/RONALDO JACARE
2- デミアン・マイア/DAMIEN MAIA
3- クリス・モリアリティ/CHRIS MORIARTY
4- デウソン・ペジシュンボ/DELSON PE DE CHUMBO
99kg以下
1- アレッシャンドリ・カカレコ/ALEXANDRE CACCARECO
2- シャンジ・ヒベイロ /XANDE RIBEIRO
3- ジョン・オラフ・エイネモ/JON OLAV EINIMO
4- ミカエル・シルクノフ/MIKHAIL CIRKUNOV
5- ホベルト・ドリスデール/ROBERT DRYSDALE
6- クリスチアーノ・チチ/CHRISTIANO TITI
99kg以上
1- ジェフ・モンソン/JEFF MONSOSN
2- ガブリエル・ナパオン/GABRIEL NAPAO
3- マーシオ・ペジパーノ/MARCIO PE DE PANO
4- マリオ・リナルジ/MARIO RINALDI
5- ルイス・セオドロ/LUIS THEODORO
このメンバーを見ると前回大会の優勝者はもちろん、入賞者までは出場者に選ばれて
ますね。
びっくりしたのはあのロジャー・グレイシーの名前がないこと!
前回大会の2冠王で大会のMVP的な活躍をしたホジャーは昨年に総合に進出したので、もしADCCより総合の試合を優先しての不出場なら悲しいですね。
ホジャーの参加、不参加を含めて今後の出場選手発表が楽しみです。
text & photograph by Kinya Hashimoto
2007年02月13日
btbrasil at 15:06 Permalink
アンドレ・ガウヴァオン Andre Galbao
その柔術家とは、日本にもたびたび来日しセミナーや試合もしたことがある、2005年・ムンジアル黒帯メジオ級世界王者&ADCC2007ブラジル予選チャンピオン、アンドレ・ガウヴァオン(ブラザ)だ。
ブラジルの格闘技雑誌「タタミ」によると、アンドレ・ガウヴァオンは今年のADCC,ムンジアルのあとに総合に進出する意向である、と伝えています。
すでに今年のプランを計画しているガウヴァオンはそのMMAデビューをムンジアル後の今年中、と考えているようで、ADCC後に打撃のトレーニングも開始するようだ。
ガウヴァオンは「今年は僕にとって驚きに満ち、昨年以上に幸せな年になるだろう」
とた希望に満ちたコメントを寄せている。
ガウヴァオンは目下、3連敗中である宿敵・マルセロ・ガウッシアに雪辱すべく猛練習を自らに課しており、打倒マルセリーニョに執念を燃やしている。
昨年、できちゃった結婚し、その子供も無事に生まれ、ブラザに移籍後は多くの練習パートナーと練習漬けの毎日、と公私共々充実した日々を送るガウヴァオン。
これからもガウヴァオンの動きには随時レポートしていく予定だ。
text & photograph by Kinya Hashimoto
2007年02月11日
btbrasil at 13:04 Permalink
ムンジアル、L.A.で開催へ!
その場所とはアメリカ、ロサンゼルス。
会場はロングビーチにある、ADCC2005が開催されたことで有名な"ピラミッド"と呼ば
れる巨大なアリーナ。
開催期間は通年より1ヶ月遅い8月22〜26日の4日間ななる模様。
毎年、ムンジアルに参戦する日本人選手は増加の一方だが、今年はパンナムと同じくL.A.での開催ということでこれまで以上に参加者は増えるだろう。
おととしは茶帯で世界王者が、昨年は黒帯で3位入賞者が誕生した。
今年こそ黒帯で日本人世界王者誕生か?!
text & photograph by Kinya Hashimoto
2007年02月10日
btbrasil at 11:44 Permalink
はじめまして!

フリーライターの橋本です。
これから不定期でブラジルに関するニュースやコラム等を書かせていただくことになりました。よろしくお願いします。
私が初めてブラジルに行ったのは今から6年前の2001年のムンジアルでした。
当時はまだ今のように日本から選手が大挙して遠征することもなく、日本人選手全員を合計しても20人はいなかったように記憶してます。
そして現在と何よりも違うのはブラジルや柔術に関する情報がとても限られていたことでした。
現在ではブラジルで行われた大会結果やニュースがインターネットを通して瞬時に入手できますが、当時は格闘技雑誌の数ページもない柔術に関する記事をむさぼるように何度も何度も読み返していたものでした。
そしてそのまだ見ぬ柔術の地、ブラジルへの思いは募り、遂に初渡伯を決意したのです。2001年当時は本当に現地の情報が少なく、すでに当時からムンジアル遠征を何度も経験されていた中井先生にくっついて歩くので精一杯でしたが、リオの街はいたるところに柔術が溢れており、見るもの全てが新鮮でした。
現地ではリオの柔術密集地帯、コパカバーナに滞在したのですが、通りを歩けば数十メートルおきに柔術道場はあるわ、街角のジューススタンドには柔術選手のピンナ
ップやポスター、雑誌が置かれていたり、買い物にでかければ柔術関連のTシャツやグッズがあり、本当に大げさでなく街中いたるところで柔術を目にすることができ、「今、柔術の真っ只中にいる!」と一人興奮していたのを思い出します。
そして日本では見られない柔術グッズを見つけては買い漁り、帰りの荷物の運搬と、帰国してからのカードの支払いに苦労したのも今となってはいい思い出です。
でも私はムンジアルにただ観戦しに行ったのではありません。
なんと無謀にもムンジアルに出場するためでもあったのです。
99年の秋に柔術を始めた私は2001年の時点で約2年を経過しており「そろそろ青帯かな?」と勝手に思い込み、中井先生にも「行くなら出ちゃいなよ」とジャーニー喜多川ばりの言葉で出場を勧められ、その気になってしまい、無謀にもムンジアルで青帯チャレンジを敢行したのでした。
当時の日本での試合はすべてギ無し計量で行われていたのでギ込み計量の体重がわからずにギ込み70kgのリミットなのにギ込みで67kgと落としすぎ、さらにスコアボードも初めて見るものでまったくわけがわからなかったのを覚えています。
今でこそIF-PRO主催大会などでギ込み計量やブラジル式スコアボード採用のお陰で慣れたのでIF-PROの功績は大きいと思います。
でも試合の結果はスコアボードの見方なんて関係なくあっさりとブラボーチョークで一本負け。
目の前が真っ白になりながらぼんやりと見えていたチジューカ・テニス・クルービの高い天井が忘れられません。
まあそんな感じで3分もかからずに終わったムンジアルの青チャレでしたが、期待よりも不安の方が大きかった試合が終わって気分も晴れ晴れ、残りの日程を練習など一切せずに買い物と観光、ムンジアル観戦に費やしました。
2001年はコパドムンドとムンジアルが分裂する前の最後の年で、まだシャオリンやレオサントス、ホビーニョらノヴァウニオン勢もムンジアルに出ていました。
あとレオジーニョやヒカジーニョも出ていましたね。
でも今ほど柔術選手に詳しくなかったので、それほど熱心に見ていたわけではなかったのですが、それでもムンジアルの最終日、黒帯無差別級の決勝戦のあの異様とも思える熱気は忘れられません。
サウロとマルガリーダの2度に渡る激闘を2連勝で制したマルガリーダの勇姿が初ブラジルの強烈な思い出として脳裏に焼きついています。
また機会があったらムンジアルのことは記したいと思います。
★画像はコパカバーナのビーチ。
ビーチにはちっちゃいビキニのボニータがいっぱいです!