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2007年08月24日

ムンジアルで日本人レフェリー誕生!

なんとムンジアルで日本人のレフェリーが試合を裁くという快挙?が実現しました!

日本の連盟では審判部副部長を務める植松さんが国際連盟の審判部長であるアルバロ・マンスール氏に挨拶に行ったところ、そこで急にアルバロ氏から「レフェリーをすることは可能か?」と突然の打診が!

なんでもムンジアルは世界大会なのでブラジル人のレフェリーだけでなく積極的に各国のレフェリーを起用したい、との意向があるようです。

そこで少し考えるも「やります!」と即答した植松さんは連盟の公式レフェリーユニフォームを渡されてムンジアルのマットに「レフェリーとして」立った最初の日本人となったのです。

最初はベテランレフェリーのサブのような感じで待機し、そのレフェリーの動きを見てレフェリングを確認し質問がなければ実際に試合を裁きます。

日本では数々の大会でレフェリーは経験済の植松さんですが、さすがにムンジアルという大舞台でのレフェリングは緊張のようでしたが、一抹の嬉しさも見え隠れしてました!



ついに日本人レフェリーがムンジアルのマットに立つ!


植松さんは国際レフェリーの実技にも合格しており国際連盟の免状も持っているそうです。

その植松さんの世界初レフェリングは女子・白帯の試合でした。

緊張の面持ちでレフェリング・スタート!





「コンバッチ!」


試合開始しばらくしてアクシデントが!





一方の女子選手が手首を負傷し棄権してしまったのです!





それでも慌てることなく落ち着いて対処し
抜群のレフェリングで世界デビューレフェリングを終えました!

それからは緊張もほぐれいつもの調子で名レフェリーぶりを見せる植松さん。




落ち着いたレフェリングと的確な判断は定評があります!


時間にして2時間ほどレフェリングをしました。

最後にアルバロ氏に植松さんのレフェリングを聞いてみると、

「まったく問題はない。明日もできるか?」

と聞かれるほどでした。

さすがに明日は自身の試合前日ということもありレフェリーは辞退してましたが、このムンジアルという大舞台でのレフェリングをこなしたというのは大きな自信になったでしょう。

今回の貴重な経験を今後のレフェリーの育成に活かして欲しいと思います!




ムンジアルのレフェリーという大役をこなした植松さんとアルバロ・マンスール氏



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