English Portugues Japanese

2008年02月04日

高谷コラム「第一回全日本回顧録」Part.1

 今春おこなわれる全日本ブラジリアン柔術選手権大会をもって同大会は9回目を数える。

日本ブラジリアン柔術連盟(以下BJJFJ)の尽力によって競技規則日本語版の整備・運用が徹底され、また今秋には第二回アジアチコが、おそらくまたブラジル、アメリカなどからの黒帯強豪選手を迎え開催される運びである。

今般第一回全日本ブラジリアン柔術選手権を回想するにあたり、隔世の感がある。

 第一回全日本ブラジリアン柔術選手権大会は10年前、1998年8月16日(日)、当時のBJJFJ・渡辺孝真初代会長(グレイシージャパン柔術アカデミー=現アクシス柔術アカデミー代表)主導のもと、東京・新宿スポーツセンターにおいて開催された。

まだ不明な点が多かった競技規則については、グレイシージャパン柔術アカデミーにて指導にあたっていたエジソン・レアンドロ師が大会前、いくつかのアカデミーをまわって講習会を実施した。

筆者も当時所属していたパレストラ東京(現パラエストラ東京)にて受講、さまざまな質疑応答がなされていた。(確証はないのだが、この段階において初めて、その後長らく適用された「外掛け」行為の反則が明示されたのではなかったか?以上余談。)

 さて、大会のほうは猛暑に襲われた体育館という、今でも往々にして体験しうるシーンの中、開催された。

多くのかたが想像に難くない状況であろう。

そんな中、選手たち(筆者を含む)は事前にトーナメント表を一見することもなく会場へと足を運び、そこに無造作に張り出されている表から自らのカテゴリー・氏名を探した。

WEBサイトでの事前発表はもちろんのこと、パンフレットもない風景は、当時日本人ではほんの一握りの人々しか体験していなかったムンジアル・ブラジレイロ・パンナムなどでは当然のスタイルであったろう。

すべてローマ字表記であったトーナメント表、そしてどの試合がいつおこなわれるかわからないという体験からは、一種の異国情緒に似た興奮を覚えたものである。

次回は、筆者の網膜に残っている、いくつかの試合を振り返ってみたい。




おそらく日本初であろう大会記念Tシャツ。
大会のメインスポンサーは当時渋谷センター街入り口にショップを構え、
全盛だったSPEEDをイメージキャラクターとしていたことでも知られるBAD BOY




Tシャツの背中側にはスポンサーとして
ISAMIやBANCO DO BRAZILの名も見える


ファイターズショップブルテリア
ブルテリア携帯サイト



トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by 匿名   2008年02月06日 01:41
今そのエジソン・レアンドロ師は日本のCBJJEの会長みたいです。
2. Posted by ブラジルブログ   2008年02月06日 12:16
エジソン・レアンドロはBJJAJも再興させたらしいですね。
3. Posted by 匿名   2008年02月07日 05:53
サン・パウロ レストランの二階で練習やってるみたいです。指導はACAO柔術にいたロドリゴ・ヒラカワとジョン・バチスタです。
4. Posted by 匿名   2008年02月07日 06:05
高岡では以前BJJAJで練習してたレアンドロ・サカモトがAXIS浜松支部を開きました。70人の生徒が練習してるみたい。
5. Posted by ブラジルブログ   2008年02月07日 15:45
浜松あたりの日系ブラジリアン系のアカデミーは離合集散を繰り返しているので現状把握が難しいですね!

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔