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2008年02月22日

高谷コラム「第一回全日本回顧録」Part.2

d850e331.jpg1997年8月におこなわれた第一回全日本ブラジリアン柔術選手権大会。

ここで筆者の記憶からいくつかの試合を振り返ってみたい。

記憶を辿るにあたり参考とさせてもらうのは2000年8月13日(日)に東京・台東リバーサイドスポーツセンターにおいておこなわれた第二回全日本選手権のパンフレットである。

この大会ではBJJFJ中井祐樹2代目会長体制において、コパ・パレストラなどパレストラ(当時)主催大会と同じく、試合場・試合順まで記載されたパンフレットが配布されていた。

その巻末に、第一回大会のトーナメント表・入賞者が付記されているのである。(なお、以下アカデミー名表記はすべて当時のものとする)

アダルト白帯ペナ級を制したのはパレストラ・八隅孝平選手。

言わずと知れた現在日本最高峰のグラップラーである。当時は10代の大学生であった。

同階級には他に吉田勝則選手(PUREBRED JIU−JITSU・STG大宮)、中山巧選手(パレストラ)、北原暢彦選手(GRACIE JAPAN)といった有力選手が参加していたが、現役レスリング選手でもあった八隅選手はタックルを軸とした攻撃で3試合を勝ち抜き優勝。

ホープの活躍に応援のパレストラ勢は大いに盛り上がった。

アダルト白帯レービィ級2回戦、当時すでにその名が知れ渡っていた強豪・早川光由選手(正道会館)とこれまたパレストラのホープ・北岡悟選手の対戦も大いに注目された。

筆者はその盛り上がりにつられて途中からの観戦であったが、北岡選手の体落とし気味の背負投げのシーンを目撃することができた。

ポイント2−0で北岡選手の勝利。

現役選手でありながらBJJFJ本部長・審判部長を務める早川選手と、パンクラスのトップ選手である北岡選手。

現在では全く考えられない対戦であるが、両選手はこの数ヵ月後にワンマッチ大会・東京BJJ-JAMにて再戦、この時は早川選手がポイント勝利している。

筆者はアダルト白帯メイオペサード級に参加。

シードであったため緒戦突破のみで決勝に進出することができた。

決勝の相手は同じパレストラ所属、元北海道大学柔道部主将にして後の修斗世界ライトヘビー級王者・山下志功選手。

引き込みからいかにも七帝といった横帯をとっての返しで2P、そのまま抑えられてはならないと亀になったところをバックとられさらに4P、何もできず0−6での完敗であった。

次回は白帯アブソリュート級、さらには当時まだ珍しかった青帯の試合を回想したい。




筆者所蔵の同大会銀メダル。
表は後に何度も全日本大会のメダルデザインとなったBJJFJロゴ





裏面には大会スポンサー・BAD BOYのロゴも


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