2008年03月11日
高谷コラム「第一回全日本回顧録」Part.3
アダルト白帯アブソリュート級。
決勝は上西クリスチアーノ選手(GRACIE JAPAN)と小池正一郎選手(パレストラ)の対戦。
正午ごろから始まった大会だが、白帯アブソが行われる頃になると日も暮れ、外はすっかり暗くなっていた。
大方の選手はすでに出番を終え、また暑さとで疲労困憊での観戦となった。
そんな中でのこの対決、後の両選手からするとまだまだ大味な柔術であったろうが、ポイント取りつ取られつの、見るものを圧倒するような迫力ある一戦となった。
グレイシージャパンvsパレストラの決勝戦に両陣営の応援も疲れを忘れて盛り上がる。
競り合いの結果、クリスチアーノ選手のポイント勝ち。
この両者も数ヵ月後に東京BJJ JAMで再戦、小池選手が得意の左体落としで奪った2Pを死守。リベンジを果たしている。
大会後半からは青帯の試合も行われていた。
まだ日本では帯色というものがどのようにして上がるのかが明確でなかった時代、主に海外での練習や試合で青帯を取得してきた選手が多かったように思う。
とにかく筆者を含む白帯の選手は、彼らの動きというものに非常に注目し、またその腰に巻かれた青帯を羨望の眼差しで眺めていた。
(昇帯に関しては、この全日本大会で優秀な成績を収めた白帯の選手は所属アカデミーの推薦の元に連盟が主催する講習会に参加、青帯が認定されるというプランもあったようである。実現には至らなかった。)
青帯の試合で今も筆者の網膜に焼きついているのはアダルトメジオ級決勝戦、上村彰選手(パレストラ)と浜島邦明選手(パレストラ)の一戦である。
上村選手はアメリカ・ワシントンDCのマリオ・ヤマサキアカデミーにて青帯を取得、この数ヶ月前に帰国しパレストラ所属となっていた。
当時、筆者の練習仲間として数少ない青帯選手であり、色々と教えていただいたものであった。
パレストラ所属として出場の浜島選手、筆者とは練習時間が違っていたのか面識はなかったのだが、当時は烏合会所属の強豪として名の通った選手であった。
さすがというキャリアを感じさせる静かな試合展開から中盤、上村選手が引き込み際でのスイープに成功、2−0で勝利した。
「鬼軍曹」の異名を取り今でも現役としてマットにその勇姿を見せる上村選手と、BJJFJ事務局長として連盟組織の運営と柔術競技の整備に奔走している浜島選手。
現在はともに黒帯を巻いている。
しかし、試合場で両者が相まみえることは二度とないであろう。
以上、10年前に行われた第一回全日本ブラジリアン柔術選手権大会を振り返ってきた。
現在の日本におけるBJJを取り巻く状況は周知の通りであるが、このBJJFJ主催「全日本選手権」こそが日本最高峰のトーナメントであるとして、今後もその格式を守っていってほしいと願う。
まずは来月26・27日、東京・光が丘体育館にて行われる第九回大会に注目したい。
参考にさせていただいた第二回大会のパンフレット
巻末には当時のBJJFJ加盟団体が。その数約100団体。
ファイターズショップブルテリア
ブルテリア携帯サイト
決勝は上西クリスチアーノ選手(GRACIE JAPAN)と小池正一郎選手(パレストラ)の対戦。
正午ごろから始まった大会だが、白帯アブソが行われる頃になると日も暮れ、外はすっかり暗くなっていた。
大方の選手はすでに出番を終え、また暑さとで疲労困憊での観戦となった。
そんな中でのこの対決、後の両選手からするとまだまだ大味な柔術であったろうが、ポイント取りつ取られつの、見るものを圧倒するような迫力ある一戦となった。
グレイシージャパンvsパレストラの決勝戦に両陣営の応援も疲れを忘れて盛り上がる。
競り合いの結果、クリスチアーノ選手のポイント勝ち。
この両者も数ヵ月後に東京BJJ JAMで再戦、小池選手が得意の左体落としで奪った2Pを死守。リベンジを果たしている。
大会後半からは青帯の試合も行われていた。
まだ日本では帯色というものがどのようにして上がるのかが明確でなかった時代、主に海外での練習や試合で青帯を取得してきた選手が多かったように思う。
とにかく筆者を含む白帯の選手は、彼らの動きというものに非常に注目し、またその腰に巻かれた青帯を羨望の眼差しで眺めていた。
(昇帯に関しては、この全日本大会で優秀な成績を収めた白帯の選手は所属アカデミーの推薦の元に連盟が主催する講習会に参加、青帯が認定されるというプランもあったようである。実現には至らなかった。)
青帯の試合で今も筆者の網膜に焼きついているのはアダルトメジオ級決勝戦、上村彰選手(パレストラ)と浜島邦明選手(パレストラ)の一戦である。
上村選手はアメリカ・ワシントンDCのマリオ・ヤマサキアカデミーにて青帯を取得、この数ヶ月前に帰国しパレストラ所属となっていた。
当時、筆者の練習仲間として数少ない青帯選手であり、色々と教えていただいたものであった。
パレストラ所属として出場の浜島選手、筆者とは練習時間が違っていたのか面識はなかったのだが、当時は烏合会所属の強豪として名の通った選手であった。
さすがというキャリアを感じさせる静かな試合展開から中盤、上村選手が引き込み際でのスイープに成功、2−0で勝利した。
「鬼軍曹」の異名を取り今でも現役としてマットにその勇姿を見せる上村選手と、BJJFJ事務局長として連盟組織の運営と柔術競技の整備に奔走している浜島選手。
現在はともに黒帯を巻いている。
しかし、試合場で両者が相まみえることは二度とないであろう。
以上、10年前に行われた第一回全日本ブラジリアン柔術選手権大会を振り返ってきた。
現在の日本におけるBJJを取り巻く状況は周知の通りであるが、このBJJFJ主催「全日本選手権」こそが日本最高峰のトーナメントであるとして、今後もその格式を守っていってほしいと願う。
まずは来月26・27日、東京・光が丘体育館にて行われる第九回大会に注目したい。
参考にさせていただいた第二回大会のパンフレット
巻末には当時のBJJFJ加盟団体が。その数約100団体。
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