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2008年05月29日

高谷コラム「柔道界の分裂」Part.2

ごく一部の人には大好評の高谷コラムです。

今回から著者経歴を入れるようにしました。

そちらも合わせてご覧下さい。

それではどうぞ!


「昭和59年に国会議員柔道連盟と日本体育協会とで発足された「調停委員会」。

それによる調停案の骨子は、学柔連と大柔連の統一→全柔連への加盟・それぞれによる処分や提訴の凍結や取り下げといったものに加え、全柔連が法人格を取得する、というものであった。

昭和24年の発足以来35年、この時点で全柔連は法人とはなっていなかったのである。

この調停の動きから、一旦は学柔連と大柔連が統一、新たな学生柔道団体設立の運びとなる。

しかし、新団体結成総会まで開かれたこの動きも、執行部の人事を巡り(学柔連幹部の去就に対する全柔連側の反対)対立、物別れとなってしまう。

結果、全柔連主催大会への学柔連登録選手参加拒否の事態に。

これがもとで、前回冒頭で紹介した昭和59年10月の世界大学柔道大会派遣選手の選考試合での、講道館におけるシュプレヒコール発生事件となり、また学柔連はいくつかの大会について全柔連の権利濫用を提訴、東京地裁がこれを認めるということもあった。

そして昭和60年1月には学柔連側が学生だけでなく社会人その他も含めた統括団体「全日本柔道協会」(全柔協)を発足させる。明らかに全柔連の向こうをはったものであった。

泥沼の抗争は、まだしばらく続く・・・。」

※今回もブラジリアン柔術とは直接関係なく、また予定を延長し完結を次回に譲ることをご了承いただきたい。





試合中にシュプレヒコールが起こった講道館国際柔道センター。
当時は全柔連と表裏一体とも言える関係であった。




講道館の入り口には柔道創始者・嘉納治五郎師範の像が。
泉下の師範は当時の抗争を如何にながめていたであろうか…。




高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認B級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
だが王座獲得の後、防衛戦の予定はない。(2008年5月現在)
※その試合の詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ


★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、38才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。




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