2008年11月19日
幻に終わったデラヒーバの総合デビュー!
教則DVD発売記念・デラヒーバ特集2日目はデラヒーバの幻に終わった総合デビューのエピソードを紹介します。
話は99年のこと。
当時、シカゴ在住だったミノタウロ・ノゲイラからデラヒーバの元に総合デビューのオファーが届きました。
「デラヒーバ、総合のいいオファーがあるよ!オレも出てるWEFで軽量級で試合できる選手を探してるんだ。出てみない?」(ミノタウロ)
「うーん、確かに興味はあるけど、どうしようかな…。」(デラヒーバ)
「相手はマット・ヒューズっていう力だけのレスラーだ。デラヒーバなら必ずサブミッションでタップを取れるはずさ!」(ミノタウロ)
「でもヒザの調子が悪いしな…。打撃の練習も充分ではないし…。」(デラヒーバ)
「んじゃプロモーターには話しておくから、決心がついたら連絡してよ!」(ミノタウロ)
「わかった。」(デラヒーバ)
と、こんな感じのやりとりがあったそうです。
結局、このオファーをデラヒーバは受けず、その代わりにマット・ヒューズと戦ったのは同じブラジリアンのジョルジ・ペレイラでした。(2000年1月15日、WEF・ジョージア州ローム大会)
その試合でジョルジ・ペレイラはマット・ヒューズにいいようにやられてしまい、最後はドクターストップのTKOで敗れました。
ジョルジのやられっぷりを聞いたデラヒーバは、「やらなくてよかった!」と心底、安心したそうです!
この後にも何度か総合のオファーはあったようですが(なんと日本の某プロモーションからのオファーも!)結局デラヒーバの総合デビューは実現しませんでした。
もう今は、
「いくらいいオファーが来てもやらないよ。もう歳を取り過ぎたからね。あと10歳若かったらやっていたんだけど。」
と、やる気はまったくないようです。
もしマット・ヒューズとの試合のオファーを受けて総合デビューをしていたらどうなってたんでしょうか?
デラヒーバの総合も試合も見てみたかったですね!

もう総合デビューはない?!
ヒカルド・デラヒーバ
話は99年のこと。
当時、シカゴ在住だったミノタウロ・ノゲイラからデラヒーバの元に総合デビューのオファーが届きました。
「デラヒーバ、総合のいいオファーがあるよ!オレも出てるWEFで軽量級で試合できる選手を探してるんだ。出てみない?」(ミノタウロ)
「うーん、確かに興味はあるけど、どうしようかな…。」(デラヒーバ)
「相手はマット・ヒューズっていう力だけのレスラーだ。デラヒーバなら必ずサブミッションでタップを取れるはずさ!」(ミノタウロ)
「でもヒザの調子が悪いしな…。打撃の練習も充分ではないし…。」(デラヒーバ)
「んじゃプロモーターには話しておくから、決心がついたら連絡してよ!」(ミノタウロ)
「わかった。」(デラヒーバ)
と、こんな感じのやりとりがあったそうです。
結局、このオファーをデラヒーバは受けず、その代わりにマット・ヒューズと戦ったのは同じブラジリアンのジョルジ・ペレイラでした。(2000年1月15日、WEF・ジョージア州ローム大会)
その試合でジョルジ・ペレイラはマット・ヒューズにいいようにやられてしまい、最後はドクターストップのTKOで敗れました。
ジョルジのやられっぷりを聞いたデラヒーバは、「やらなくてよかった!」と心底、安心したそうです!
この後にも何度か総合のオファーはあったようですが(なんと日本の某プロモーションからのオファーも!)結局デラヒーバの総合デビューは実現しませんでした。
もう今は、
「いくらいいオファーが来てもやらないよ。もう歳を取り過ぎたからね。あと10歳若かったらやっていたんだけど。」
と、やる気はまったくないようです。
もしマット・ヒューズとの試合のオファーを受けて総合デビューをしていたらどうなってたんでしょうか?
デラヒーバの総合も試合も見てみたかったですね!

もう総合デビューはない?!
ヒカルド・デラヒーバ