2009年02月01日
エリオ・グレイシーとの思い出:浜島邦明

エリオ・グレイシーとの思い出は、やはり2005年にブラジルへ行った時のことが印象に残っています。
何の根拠も無く「エリオ・グレイシーに会いに行く」と出発前から思っていたのですが、いざブラジルに着いたところで何の手掛かりも無い状態。
出発前は「ムンジアル開催前後にグレイシーウマイタに行けば会えるかな?」と軽く考えていたのですが、グレイシーウマイタなんて、1997年に中井さんと和道さんと行ったっきりで、移転しているかもしれないし、やらなければいけないことも山ほどあるし…。
結局、グレイシーウマイタに行く暇も無く、ムンジアルの日を迎えました。
当たり前ですがムンジアル会場にはムンジアルに参加する日本人選手、取材陣が集結します。
そこででゴンググラップルの取材で来ていた高島さんに相談したところ偶然にも数日後、エリオに取材に行くとのこと。どうにか着いていけないか、とお願いしたところ、車が確保出来たらOKとのこと。
ついに念願のグレイシー柔術創始者・エリオグレイシーに会えることが一気に現実に近づいてきました。
出発当日、カバンにはエリオにプレゼントする為に日本から持ってきた「エリオ・グレイシー」と刺繍したミズノの赤帯と、記念写真用にと一張羅のキモノを入れて、集合場所であるイパネマにあるジョアォン・アルベウトの高級マンションに向かいました。
しかし、ここで問題が発生しました。
※この模様はGONG格闘技200号126-127Pを見てください。
何とか問題は解決(?)され、ついにエリオグレイシーに会いに行くことになり、リオから車で2時間ほど。
大きな大きな敷地に入り、吠える犬を怖がり外に出られない中、建物からゆっくりとエリオグレイシーが
現れました。
吠えまくる犬をなだめるエリオは正真正銘エリオでした。
あのヒクソン、ホイラー、ホイスの父親、グレイシー柔術創始者のエリオです!
僕自身、表面は冷静を保とうとしたものの、内心テンションが上がりパニくっているのがわかりました。
インタビューが始まり、僕は興味津々に話しを聞いていました。
エリオの一言、一言が我々が知らなかったグレイシー柔術の歴史が明らかになっていく瞬間です。
そんなインタビュー中、どんな話しの流れかはわかりませんが、突然、杖を持てと言われて、「え?え?」と戸惑っている中、エリオのプライベートレッスンが始まりました。
※この模様はゴンググラップルVol.3を見てください。
杖の次は「わしの首を絞めろ」とのこと。そんなの無理に決まっています、絞めるとは程遠い、エリオの首を触る程度にいたら、「こう絞めろ!」とエリオが首を絞めてきました!
そうです、エリオ・グレイシーと最後に闘った日本人は僕なんです。
ぜひその内容はゴンググラップルVol.3を見てください。
実演&インタビューが終わり、今度は撮影です。建物の一番奥にあるところに練習場があります。
確かこの場所でヒクソンとエリオがスパーリングしている映像を見た記憶があります。
私服からキモノに着替える時に、プレゼントで持ってきたミズノの赤帯をプレゼントしました。
エリオが非常に喜んでくれました。
結局、撮影の邪魔は出来ないので、一張羅のキモノを着ての記念写真は無理でしたがこの歴史ある練習場でエリオとのツーショットは宝物であり、道場に飾ってあります。
撮影終了後、取材は終わりました。本当にあっと言う間の出来事でした。
先日も「エリオ・グレイシー95歳の誕生日」という記事を見て、「まじでオレの方が先に逝っちゃうじゃないか?(笑)」と冗談を言うくらい、元気な姿を見せていたのに…。
この人がコンデコマから柔術(柔道?)を習っていなかったら…、
この人が柔術を最強の格闘技を証明する為に闘わなかったら…、
この人が子供たちに柔術を伝授しなかった(出来なかった)ら…、
この人がグレイシー柔術を作り上げていなかったら…。
ご冥福をお祈りします。
デラヒーバジャパン代表
浜島 邦明
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★画像は文中に出てくるエリオとの記念写真。
ほんの数年前の写真のはずですが、今とは違いスマートです!
浜島氏と比べるとエリオが一段と小さく見えますね!

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