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2009年02月02日

エリオ・グレイシーとの思い出:高谷聡

エリオ・グレイシーが亡くなった。

1913年生まれの95歳。

生年は日本で言うところの大正2年、世界は翌年に第一次大戦を迎える時期である。

白血病であったというが、年齢的にも、またその残した事績からも、まさに天寿を全うしたといえよう。

筆者がその名を知ったのは20数年前の高校時代、当時の柔道人にとって必携の書であった木村政彦著「わが柔道」からであった。

当時の読者なら「エリオ・グラッシー」としてインプットされているだろう。

更に20年ほど前の世代ならば、同じ木村政彦著「鬼の柔道」に登場する「エリオ・ブラッシー」として記憶にあるはずだ。

そのエリオが健在の人物として、さらにその一族が技術を伝承していると、世間に登場したのが1993年のアルティメット大会。

筆者を含む多くの柔道人や、また愛好家が「グレイシー柔術」の出現に、あたかもタイムマシンに乗って現れたかのように、驚嘆したものである。

筆者がエリオと直接接したのは、2000年に行われたセミナーにおいてである。

エリオ、ホリオン、ホウケルによる豪華なセミナーであったが、主に比較的初心の方々をホリオンが受け持ち、当時日本では少なかった筆者を含む青帯の参加者数名をエリオが受け持った。

通訳の方は、エリオを「創始」という日本語で表現し、筆者たちには「創始のプライベートレッスンみたいで、あなたたちは非常にラッキーだ」と話した。

そのレッスンの中、筆者はエリオに「ガードをとってみろ」と言われたので、まさに当時パレストラにて習いたてのスパイダーガードを披露、一喝された記憶がある。

筆者としては若気の至り、色気を出し最新技術を見せたかったのであったのであるが、エリオ曰く「そんな形では相手をしとめることは出来ない。こうやるのだ。」
エキサイトしながら、筆者に襟袖をとったガードからの十字絞めをしかけてきた。

80代後半とは思えない小手力で、筆者はタップを強いられた。

洗練された技術、そして自らの築いてきたスタイルへの誇りを実感したシーンであった。

筆者の道場生(現在紫帯・メイオペサード級)に、ロスのグレイシーアカデミーにて柔術を始めた人物がいる。
彼は90歳を過ぎたころのエリオとスパーリングをした経験を持つという。

「普通に強かった。すごい動きだった。」とのこと。
全ての武芸者が目指すべき境地であろう。

偉大なるグランドマスターの逝去に、ただただ冥福を祈るのみである…。

高谷 聡




日本でエリオの存在を知らしめた木村政彦著の2冊。
右が1969年刊「鬼の柔道」。
左は1985年刊「わが柔道」。




2000年に行われたセミナーにて。
筆者との記念撮影に応じてくれたホリオン・グレイシー。




そして同じセミナーで今は亡きエリオと共に。




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この記事へのコメント

1. Posted by な   2009年02月02日 21:12
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