2009年03月11日
高谷コラム 古典紹介・井上靖「北の海」 その2
高専柔道の世界を描いた作品として知られる「北の海」の著者として知られる作家・故井上靖氏。
その柔道人生は「北の海」の主人公・伊上洪作のそれ以上に劇的なものであった。
中学時代には器械体操を専門としていたが、柔道部から依頼が来ると試合に出場、いつしか正選手に加えられるようになったという。
四高に入学後は柔道部の生活に明け暮れ、朝昼夜の1日3回、四高の柔道場・無声堂での稽古に明け暮れる日々であった。
その風景は、「北の海」に描写されている姿そのままであっただろう。
井上氏はまだ柔道の経験があったほうであるが、勉強第一で当時の進学校・四高などのナンバースクールに入った高校生たちが短期間で確実に上達する柔道こそ、寝技を軸とする高専柔道であった。
寝技の強いものは確実に弱いものに勝つ。
高専柔道こそ「練習量がすべてを決定する」まぐれなどない柔道であった。
これは多分に現代のブラジリアン柔術競技者において実感される感覚であろう。
さて実際の高専柔道大会においての井上氏の活躍であるが、高専柔道史の中盤からその終焉までを記録した湯本修治氏(松本高校在学時、高専大会において活躍)の著作「続・闘魂」によると、昭和3年の中部高専大会において対松江高戦に出場、一人目を足払いで一蹴、二人目を絞めでとり、三人目を無難に引き分けている。
この大会、四高は準決勝の松山高戦で奮闘むなしく敗れているのであるが、その試合を含めて井上氏が敗れた記録はない。
その他の試合でも、現在の七帝戦やブラジリアン柔術・パラエストラの団体対抗戦を経験または観戦した人間にはわかるだろうが、まず負けないことが勝ち抜き戦では重要であり、また一人で三人を消すということは、相当非凡な実力がなければ出来ないことである。
またその一人目を足払いで破っているところ、引き込みありの規定の中立ち技で一本取れるということは、氏が高専スタイルの寝技のみならず、立ち技にも秀でていたことを感じさせる。
繰り返しになるが、そのような井上氏が描いた寝技の世界「北の海」はぜひお勧めしたい作品である。
次回は、氏の柔道に関するその他のエピソードや、晩年のインタビュー内容について紹介したい。
井上靖氏現役時代の高専柔道を後世に伝える、
湯本修治氏著「続・闘魂」。
昭和47年発刊。
前作「闘魂」もある。
高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認B級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
だが王座獲得の後、防衛戦の予定はない。(2008年7月現在)
※その試合の詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ!
★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、38才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。
その柔道人生は「北の海」の主人公・伊上洪作のそれ以上に劇的なものであった。
中学時代には器械体操を専門としていたが、柔道部から依頼が来ると試合に出場、いつしか正選手に加えられるようになったという。
四高に入学後は柔道部の生活に明け暮れ、朝昼夜の1日3回、四高の柔道場・無声堂での稽古に明け暮れる日々であった。
その風景は、「北の海」に描写されている姿そのままであっただろう。
井上氏はまだ柔道の経験があったほうであるが、勉強第一で当時の進学校・四高などのナンバースクールに入った高校生たちが短期間で確実に上達する柔道こそ、寝技を軸とする高専柔道であった。
寝技の強いものは確実に弱いものに勝つ。
高専柔道こそ「練習量がすべてを決定する」まぐれなどない柔道であった。
これは多分に現代のブラジリアン柔術競技者において実感される感覚であろう。
さて実際の高専柔道大会においての井上氏の活躍であるが、高専柔道史の中盤からその終焉までを記録した湯本修治氏(松本高校在学時、高専大会において活躍)の著作「続・闘魂」によると、昭和3年の中部高専大会において対松江高戦に出場、一人目を足払いで一蹴、二人目を絞めでとり、三人目を無難に引き分けている。
この大会、四高は準決勝の松山高戦で奮闘むなしく敗れているのであるが、その試合を含めて井上氏が敗れた記録はない。
その他の試合でも、現在の七帝戦やブラジリアン柔術・パラエストラの団体対抗戦を経験または観戦した人間にはわかるだろうが、まず負けないことが勝ち抜き戦では重要であり、また一人で三人を消すということは、相当非凡な実力がなければ出来ないことである。
またその一人目を足払いで破っているところ、引き込みありの規定の中立ち技で一本取れるということは、氏が高専スタイルの寝技のみならず、立ち技にも秀でていたことを感じさせる。
繰り返しになるが、そのような井上氏が描いた寝技の世界「北の海」はぜひお勧めしたい作品である。
次回は、氏の柔道に関するその他のエピソードや、晩年のインタビュー内容について紹介したい。
井上靖氏現役時代の高専柔道を後世に伝える、
湯本修治氏著「続・闘魂」。
昭和47年発刊。
前作「闘魂」もある。
高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認B級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
だが王座獲得の後、防衛戦の予定はない。(2008年7月現在)
※その試合の詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ!
★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、38才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。