2009年04月29日
高谷コラム:古典紹介「北の海」井上靖・その3
過去二回にわたって紹介してきた、高専柔道華やかなりし頃を描いた小説「北の海」とその作者である井上靖氏。
この稿の最終となる今回は「近代柔道」1990年9月号に掲載された氏の記事から、そのエピソード等に触れてみたい。
井上氏が金沢の四高時代、高専柔道大会に於いて昭和初期屈指の強豪であったことは周知であろうが、氏は高専大会のみならず、一般の柔道大会においてもその実力を示している。
ここで言うところの一般の柔道大会とは、高専の大会と違い「引き込み」が認められた規定ではない。
いかに寝技に長じていても、立技の実力や寝技技術を生かす駆け引きがなければ勝てるものではない。
井上氏は昭和4年に開催された「御大礼記念天覧武道大会」に石川県代表として選抜されているのである。
これは、現在の全日本柔道選手権に匹敵する権威ある大会。
この実績こそ氏の柔道家としての力量の証左と言える。
さてこの大会、井上氏は出場辞退という結末を迎えている。
当時、四高の主将であった氏は、練習方法その他のことで先輩達と意見衝突、退部という事態となっていた。
(「その他」と表現した事態は、当時の世相でもある左翼思想への傾倒が特に四高生の間では強く見られたことによる、社会思想的衝突であったと、「続・闘魂」において氏は述懐している)
とにかくも、四高柔道部を去った井上氏は「無声堂を離れて何の柔道ぞや」との気分から、その天覧試合をも放棄してしまったのである。
その後、まれに柔道衣を身につけることはあっても、進学した京都大学では柔道部に所属することはなかった井上氏。だが、柔道への愛着は抑えきれなかったようだ。
昭和後期、晩年の氏は柔道の英才教育機関である「講道学舎」の設立に参加、会長職を務めている。
この私塾からはお馴染み古賀稔彦や吉田秀彦、瀧本誠といったオリンピック金メダリストが輩出されている。
井上靖氏、そして高専柔道が現代の柔道に残しえた影響は決して小さいものではないと言えよう。
そして、現在の日本におけるブラジリアン柔術普及への影響もまた然り、と筆者は感じているのである。
※以下全くの私事である。
筆者が高校・大学時代に師事していた稲沢正一先生という方がいらした…のだが、この先生は井上靖氏と同年代、金沢四高と同地域とも言える旧制富山高校にて高専柔道 の選手であった。
そして、北信越の高専大会においての決勝・四高戦で副将として出場、彼軍大将の井上氏と対戦し引き分け、自軍を優勝に導いたという。
そのことを誇らしげに終生語り続けていた。
その先生は2002年に95歳の天寿を全うしたが、筆者はこの先生に習った寝技の基本を今でも遵守している。
先生への想いをこめる意味もあって、今回井上氏に関する寄稿をしたことを、最後に付記しておきたい。
今回の参考文献、「近代柔道」1990年9月号。
現在順調に発行されている同誌は技術解説なども多く、
ブラジリアン柔術家においても参考になるものである。
同誌に掲載された当時の井上靖氏。
鬼籍に入ったのはこの数月後、
1991年1月29日のことであった…。
高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認B級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
だが王座獲得の後、防衛戦の予定はない。(2009年4月現在)
※その試合の詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ!
★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、39才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。
★急告★
高谷選手が2007年にニュージーランドでvsニール・スウェイルスを降して獲得したCSF王座、長らく防衛戦に呼ばれることもなく放置され続けていましたが、5/24(日)、イサミ・レッスルアリーナで開催の「リバーサリング!!!グラップリング!!!」内のスーパーファイトでCSF王座の防衛戦を開催予定です。
現在、対戦相手を調整中。
続報を待て!
この稿の最終となる今回は「近代柔道」1990年9月号に掲載された氏の記事から、そのエピソード等に触れてみたい。
井上氏が金沢の四高時代、高専柔道大会に於いて昭和初期屈指の強豪であったことは周知であろうが、氏は高専大会のみならず、一般の柔道大会においてもその実力を示している。
ここで言うところの一般の柔道大会とは、高専の大会と違い「引き込み」が認められた規定ではない。
いかに寝技に長じていても、立技の実力や寝技技術を生かす駆け引きがなければ勝てるものではない。
井上氏は昭和4年に開催された「御大礼記念天覧武道大会」に石川県代表として選抜されているのである。
これは、現在の全日本柔道選手権に匹敵する権威ある大会。
この実績こそ氏の柔道家としての力量の証左と言える。
さてこの大会、井上氏は出場辞退という結末を迎えている。
当時、四高の主将であった氏は、練習方法その他のことで先輩達と意見衝突、退部という事態となっていた。
(「その他」と表現した事態は、当時の世相でもある左翼思想への傾倒が特に四高生の間では強く見られたことによる、社会思想的衝突であったと、「続・闘魂」において氏は述懐している)
とにかくも、四高柔道部を去った井上氏は「無声堂を離れて何の柔道ぞや」との気分から、その天覧試合をも放棄してしまったのである。
その後、まれに柔道衣を身につけることはあっても、進学した京都大学では柔道部に所属することはなかった井上氏。だが、柔道への愛着は抑えきれなかったようだ。
昭和後期、晩年の氏は柔道の英才教育機関である「講道学舎」の設立に参加、会長職を務めている。
この私塾からはお馴染み古賀稔彦や吉田秀彦、瀧本誠といったオリンピック金メダリストが輩出されている。
井上靖氏、そして高専柔道が現代の柔道に残しえた影響は決して小さいものではないと言えよう。
そして、現在の日本におけるブラジリアン柔術普及への影響もまた然り、と筆者は感じているのである。
※以下全くの私事である。
筆者が高校・大学時代に師事していた稲沢正一先生という方がいらした…のだが、この先生は井上靖氏と同年代、金沢四高と同地域とも言える旧制富山高校にて高専柔道 の選手であった。
そして、北信越の高専大会においての決勝・四高戦で副将として出場、彼軍大将の井上氏と対戦し引き分け、自軍を優勝に導いたという。
そのことを誇らしげに終生語り続けていた。
その先生は2002年に95歳の天寿を全うしたが、筆者はこの先生に習った寝技の基本を今でも遵守している。
先生への想いをこめる意味もあって、今回井上氏に関する寄稿をしたことを、最後に付記しておきたい。
今回の参考文献、「近代柔道」1990年9月号。
現在順調に発行されている同誌は技術解説なども多く、
ブラジリアン柔術家においても参考になるものである。
同誌に掲載された当時の井上靖氏。
鬼籍に入ったのはこの数月後、
1991年1月29日のことであった…。
高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認B級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
だが王座獲得の後、防衛戦の予定はない。(2009年4月現在)
※その試合の詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ!
★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、39才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。
★急告★
高谷選手が2007年にニュージーランドでvsニール・スウェイルスを降して獲得したCSF王座、長らく防衛戦に呼ばれることもなく放置され続けていましたが、5/24(日)、イサミ・レッスルアリーナで開催の「リバーサリング!!!グラップリング!!!」内のスーパーファイトでCSF王座の防衛戦を開催予定です。
現在、対戦相手を調整中。
続報を待て!