English Portugues Japanese

2009年08月25日

古典紹介 木村政彦「柔道とレスリング」 後編

木村政彦氏著の奇書「柔道とレスリング」、最後は「レスリング篇」についてふれてみる。

まず、ここで「柔道篇」とは文体が変わり「レスリングとは元来は英語で、それには組討をする、とか相斗うという意味があります。」と始まる丁寧語での解説となる。

最初は、レスリングについての総論。グレコローマンスタイルとフリースタイル(「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」とも表記)との違いや、戦前から戦後にいたる日本レスリング界の歴史などに言及している。

続いてブリッジやグリップから始まるテクニック解説。

この項の最後には「レスリングの練習について」と称して、技術面というよりむしろ精神面に重きを置いた論が展開されている。

「ものごとに楽な精進というものはあり得ません。

すべては努力につながるものなのです。

禁酒、禁煙も努力なのです。」といった感じで、やはり「柔道篇」とは違ったテイストである…。

最後にはルールや用語の解説となるが、その中に「プロ・レスリングとアマチュア・レスリングについて」といった記述がある。

そこには「また柔道界からは木村政彦七段や山口利夫七段などもそろってレスラーに転向し…」とある。

ここで、明らかに「レスリング篇」は「著者」である木村政彦氏の記述でないことがうかがい知れる。

また「一方プロ・レスリングは、もともと興行が目的であり、多数の見物人を動員して、多くの入場料を得るのがその最初からの動機であり、選手もファイト・マネーを目的としてゲームをします。

したがって厳密に云えば、もうスポーツというよりも、むしろシヨウ(見世物)に近いものと思って差しつかえないでしょう。

もちろん試合の結果や、勝敗そのものに八百長があったり、インチキなところがあるとは申しません。」といった必ずしも「プロ・レスリング」に好意的でなく、かといってそれを全否定できるわけではないという、「著者」であり「国際プロ・レスリング団」の木村政彦氏の苦しい立場も感じられるのだ…。

この「柔道とレスリング」技術書といえばそれまでであるが、筆者の感想としては最早柔道界の人間ではない木村氏の柔道への愛着、そして当時のプロレス界での苦しい立場と心情が随所に現れている一冊、さらには代筆者に多くをゆだねたひとつの仕事としてこなしたものであるという、とても複雑な状況がみてとれる。

昨今、再評価の機運が高まっている木村政彦氏であるが、この「奇書」はその研究において大いに参考となるものであろう。

それにしてもネットにてこのような書を入手できるとは、便利な時代になったものである。




レスリング篇も挿絵は柔道篇と同じような味わい。
「膝崩し」当世風にいうと「アームドラッグ」か。




木村政彦氏による序文。
やはり自身が人生を賭してきた柔道への愛着が強く感じられる。




高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認B級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。

王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)

★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!

★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。

☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ


★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、38才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。






トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔