English Portugues Japanese

2009年11月12日

ヒカルド・デラヒーバ柔術セミナーinパラエストラ吉祥寺

先ごろ、毎年恒例のデラヒーバカップ&セミナーツアーを終えて帰国したヒカルド・デラヒーバ先生。

せのセミナーを自身の道場で開催した高谷聡さんからセミナーレポートが届きましたので紹介します。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

さる11月3日、筆者が主催するパラエストラ吉祥寺道場にヒカルド・デラヒーバ先生をお迎えし、ブラジリアン柔術セミナーを開催することが出来た。

筆者は2003年、当時はリオデジャネイロのティジューカ・テニス・クルービーにて開催されていたムンジアルに紫帯で初出場、以後4年連続で渡伯しムンジアルやインターナショナル・マスター&シニアに出場したのであったが、最初に訪れたコパカバーナのデラヒーバ柔術アカデミーに縁を感じ、以後他のアカデミーを訪れることはなかった。

デラヒーバカップが日本で開催されるようになってからも、大会後に行われるセミナーになるべく参加するようにしてきたが、自分の道場にお招きすることが念願であり、今回それがようやく実現した形である。

ブラジルでの先生のクラスは、まずウォーミングアップがてら基本運動に始まり、テクニック練習。

これは1週間を通じて同じテーマを扱っていたようだ。

一日につき1つか2つ、時間にして約10分。

その後のスパーリングは先生の指名で組み合わせた相手と行う。

疲れているときは遠慮することが出来るフランクな雰囲気であった。

今回のセミナーでは、先生の代名詞ともいえるデラヒーバガードからの展開が中心となったが、じっくり時間をかけて技術を紹介いただけるのは、セミナーならではといえよう。

内容としては、まずデラヒーバガードの最初のフックが入りにくい場合のディテールから始まり、シンプルなスイ−プ。

応用として難易度の高い後転を用いたスイープなど、合計約10パターン。

追加として紹介したハーフガードからの後転スイープは、かつてホイラー・グレイシー選手を2度にわたって返したテクニックとのことであったが、筆者が後日youtubeにて確認した映像には、まさにその通りのシーンが展開されていた。

約20年前。

年代を考えるとまさに脅威の技術レベルと言えよう。

興味ある方にはぜひ一見していただきたい。

包み隠すことなく技術の細部までを紹介し、またセミナー後に参加者ひとりひとりと握手や記念撮影に応じる様は、まさに柔術界のリビング・レジェンドといわれる先生の人柄を感じさせる場面であった。

来年もぜひ開催したいものである。



道場生以外からも参加をいただき、20名以上の参加となった。




当道場の指導を務める植松直哉選手ももちろん参加。
デラヒーバ先生は、植松選手得意のパスガードをご存知であり、日本の柔術シーンについても造詣が深いことをうかがわせた。



高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認B級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。

王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)

★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!

★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。

☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ


★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、38才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。

★高谷さんの人気コラムシリーズはコチラから!




トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔