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2010年12月18日

高谷コラム:「柔術」を考える 其の弐

恒例の高谷コラム、前回の『「柔術」を考える』の続編です。

★『「柔術」を考える』その1はコチラから!

全柔術家、必見のコラムシリーズの第2弾、ぜひご一読を!

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「柔術」最古の流派として前回ふれた「竹内流」。

が、当時は「小具足」「和(やわら)」といった呼称が一般的であったようだ。

「柔術」と広く呼ばれるようになったのは17世紀半ばに登場した「関口流」からであったと言われる。



 関口柔心という人物によって紀州(和歌山)に創始された同流には戦国の遺風が大いに残されており、剣や槍、捕縄をも含む総合武術であった。

また、広く知られている「柔能制剛」(柔よく剛を制す)の文言を老子の思想より取り入れてその術理を表したのも同流である。

そして明治9年にいたり、福沢諭吉によって慶応義塾の教育に関口流柔術が取り入れられた。

明治14年ころには紀州より関口宗家を迎え「柔術部」としての活動が行われていた。

嘉納治五郎により講道館柔道が創始される前年ころのこと。

余談ながら、慶応義塾ではこの「柔術部」がそのまま「柔道部」へと継承され、最古の「柔道部」として現在も学生柔道界で活躍している。

 さて現在の日本における「柔術」シーンでは、今年もブラジリアン柔術の根強い普及活動が進んできた。

アジアオープン選手権や東京国際オープントーナメントが大規模に開催された一方、各国内選手権やオープントーナメント、さらにはNo-Gi部門の定着など。

とりわけ8月のマスター&シニアとキッズの両全日本選手権大会の大盛況は、老若男女に親しまれる市民スポーツとしての方向性を大いに示唆するものであった。

 筆者は、今後さらに日本においてブラジリアン柔術が親しまれていくために、かつて関口流柔術を嚆矢として現在に至るまで講道館柔道が学校教育に組み込まれてきた歴史に学びながら、そういった方向性を模索していくこともまた望ましいことだと考える。

学校教育・課外活動としてブラジリアン柔術を本格的に行う「柔術部」が登場することを期待するところである。(敬称略)




今回取り上げた関口流柔術に関して描かれた江戸期の絵画。
現在合気道などでも見られる多人数取りのイメージか。




高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認A級審判員。

現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)
★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!
★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ

★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、40才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。

★高谷さんの人気コラムシリーズはコチラから、ブログはコチラから!




©Bull Terrier Fight Gear
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