2011年09月13日
高谷コラム:桜庭和志の復帰戦の相手、ヤン・カブラルと対戦した過去を激白!
9月24日、埼玉スーパーアリーナにおいて開催される「DREAM.17 」。
桜庭和志選手の復帰戦が話題となっている同大会、その対戦相手の名を聞いて驚かされた。
ブラジルのヤン・カブラル選手。
筆者が2006年、最後に出場したいわゆる「ムンジアル」において対戦、惨敗した選手であった。
ヤン・カブラル(アラーニャ柔術)
現在のところ最後のブラジル開催となっている2006年ムンジアル。
筆者は黒帯メジオ級に出場した。
桜庭和志選手の復帰戦が話題となっている同大会、その対戦相手の名を聞いて驚かされた。
ブラジルのヤン・カブラル選手。
筆者が2006年、最後に出場したいわゆる「ムンジアル」において対戦、惨敗した選手であった。
ヤン・カブラル(アラーニャ柔術)
現在のところ最後のブラジル開催となっている2006年ムンジアル。
筆者は黒帯メジオ級に出場した。
緒戦の相手、ヤン・カブラル選手は何かのチーム名を冠して出場していたものの、実際は当時ムンジアルと違う価値観の「コパドムンド」を開催していたCBJJOの母体・ノヴァウニオンの所属であったようだ。
メジオ級では比較的長身、そして長い手足を持ったヤン・カブラル選手に対して、何とかテイクダウンで先制し有利なトップをとれればと考えていた筆者であったが…。
開始早々にすべりこむような引き込みからフックガード、すぐに潜るようなスイープを仕掛けてきたヤン選手の速攻を受けてしまった。
何とか立ち上がって失点は回避したものの、今度は飛びつきバック。
またもや寝姿勢に持ち込まれ、バック&絞めを狙われた。
この体勢でのディフェンスと逆転には多少自信があったのだが、バックグラブ攻防のなかで襟絞めを入れられてしまった。
秒殺といっていい完敗であった。
同大会、彼はベスト8まで進出しダニエル・モラエス選手にポイント負けしていたように記憶している。
この大会のDVDになぜか筆者とヤン・カブラル選手の一回戦が収録されている。
「ベスト一本」といったような意味合いでの収録であろうか。
悔しさもあるものの、懐かしい思い出でもある。
当時は若手な印象のあった彼がその後、ヨーロピアン大会の決勝でクロン・グレイシーと対戦、十字絞めで敗れはしたもののスイープで先制ポイントを奪ってみせた試合などもYOUTUBEにて拝見させてもらった。
いつしか主戦場はヨーロッパ、所属はBBTとなっていた。
彼はムンジアルの試合場で「SHOOTO」のジャージを羽織っていた。
名門ノヴァウニオンの一員として当時からブラジル修斗等に関わり、MMA志向が強かったのではないだろうか。
そんな彼が日本のビックイベントに参戦。
本人の記憶にすらない楽勝の試合であったかもしれないが、かつての対戦相手のひとりとして、そして「ブラジリアン柔術家」として、その健闘に期待したい。
2006年ムンジアル黒帯メジオ級一回戦。
左がヤン・カブラル選手。
飛びつくように筆者のバックを狙うヤン・カブラル選手。
この後、カラーチョークでフィニッシュ。
秒殺といっていい完敗であった。
高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認A級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)
★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!
★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ!
★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、41才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。
★高谷さんの人気コラムシリーズはコチラから、ブログはコチラから!
【今日が誕生日の柔術家】佐藤孝、戸所誠哲
©Bull Terrier Fight Gear
メジオ級では比較的長身、そして長い手足を持ったヤン・カブラル選手に対して、何とかテイクダウンで先制し有利なトップをとれればと考えていた筆者であったが…。
開始早々にすべりこむような引き込みからフックガード、すぐに潜るようなスイープを仕掛けてきたヤン選手の速攻を受けてしまった。
何とか立ち上がって失点は回避したものの、今度は飛びつきバック。
またもや寝姿勢に持ち込まれ、バック&絞めを狙われた。
この体勢でのディフェンスと逆転には多少自信があったのだが、バックグラブ攻防のなかで襟絞めを入れられてしまった。
秒殺といっていい完敗であった。
同大会、彼はベスト8まで進出しダニエル・モラエス選手にポイント負けしていたように記憶している。
この大会のDVDになぜか筆者とヤン・カブラル選手の一回戦が収録されている。
「ベスト一本」といったような意味合いでの収録であろうか。
悔しさもあるものの、懐かしい思い出でもある。
当時は若手な印象のあった彼がその後、ヨーロピアン大会の決勝でクロン・グレイシーと対戦、十字絞めで敗れはしたもののスイープで先制ポイントを奪ってみせた試合などもYOUTUBEにて拝見させてもらった。
いつしか主戦場はヨーロッパ、所属はBBTとなっていた。
彼はムンジアルの試合場で「SHOOTO」のジャージを羽織っていた。
名門ノヴァウニオンの一員として当時からブラジル修斗等に関わり、MMA志向が強かったのではないだろうか。
そんな彼が日本のビックイベントに参戦。
本人の記憶にすらない楽勝の試合であったかもしれないが、かつての対戦相手のひとりとして、そして「ブラジリアン柔術家」として、その健闘に期待したい。
2006年ムンジアル黒帯メジオ級一回戦。
左がヤン・カブラル選手。
飛びつくように筆者のバックを狙うヤン・カブラル選手。
この後、カラーチョークでフィニッシュ。
秒殺といっていい完敗であった。
高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認A級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)
★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!
★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ!
★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、41才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。
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【今日が誕生日の柔術家】佐藤孝、戸所誠哲
©Bull Terrier Fight Gear