2011年10月15日
高谷コラム:「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」推薦とそれにまつわる古典紹介
このたび新潮社より単行本化された増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」が大変な話題である。
筆者も木村政彦を崇拝した1柔道人として、またブラジリアン柔術指導に携わる者として「ゴング格闘技」連載時には常に拝読していたが、この度改めて熟読させていただいている。
それにあたり僭越ながら今回、同書を推薦するとともに可能ならばぜひ併読をお薦めしたい「古典」を3冊ほど紹介したい。
筆者の個人的な思い入れなども含まれることをご容赦願いたい。
筆者も木村政彦を崇拝した1柔道人として、またブラジリアン柔術指導に携わる者として「ゴング格闘技」連載時には常に拝読していたが、この度改めて熟読させていただいている。
それにあたり僭越ながら今回、同書を推薦するとともに可能ならばぜひ併読をお薦めしたい「古典」を3冊ほど紹介したい。
筆者の個人的な思い入れなども含まれることをご容赦願いたい。
「わが柔道」木村政彦著
これは昭和60年に初版が発行されたものであるが、平成13年には文庫化もされているので、絶版ながら比較的現在でも入手することが容易かと思われる。
文字通りの自伝であるが、木村政彦の人となりだけでなく柔道における練習法・上達法に関しても言及」し、さらに巻末には得意技法の写真入り解説まで収録されている決定版である。
昭和60年代に入手した高校生の筆者も憧れと共に少しでもその境地に近づかんとしたものだ。
文庫化までの間にも改訂版が出されたりしていたが、その相違点は「エリオ・グラッシー」が「エリオ・グレイシー」表記に変わったことである。
もちろん、これは平成5年の「グレイシー柔術」フィーバーによるものであろう。
そしてこの平成5年は、木村政彦本人が鬼籍に入った年でもある・・
「鬼の柔道」木村政彦著
昭和44年刊。木村政彦が初めてその半生をまとめた書籍である。
筆者は高校時代から長らく神田の古書店街などで探していたものであったが、近年になってネット売買の充実によって始めて入手することが出来た。
数年前はさほど高額ではなかった記憶があるが、今では数万円で取引される稀少本となっているとのこと。
内容はもちろん後発の「わが柔道」と大差こそないものの、ブラジル以外のヨーロッパ・メキシコ遠征でのことにページを多く割いている印象がある。
力道山戦後のプロレスビジネスのための遠征であったが、発刊当時は時期的にまだ記憶が新しかったのだろうか。
また当時の柔道事情に関して「わが柔道」では山下泰裕の戦いぶりにふれていたが、こちらでは「昭和の三四郎」岡野功の動きに一言もの申している。
これは筆者にとって一種の衝撃であった。
いわく、岡野はピョンピョン飛び跳ねすぎだと。
有名な「バイタル柔道」の著者にして小兵ながら全日本2回優勝、賛辞しか聞いたことのない岡野功の柔道を批判できる人物が存在したのかと。
そして、まさに「ピョンピョン」するステップは筆者あたりの世代にとっては、後の古賀稔彦にも通じる強い選手ならではの象徴的な動きであったのだ。
「志士 牛島辰熊伝」
最後はこちら、昭和49年に一部で発行されおそらく全国的に発売されたものではないので、現在ではかなり閲覧が困難であろう。
筆者は母校柔道部の元師範でありそのご家族にも大変お世話になったこと、また木村政彦の師匠であるということから、牛島辰熊という人物にも深く傾倒してきた。
これは約10年前であろうか、ネット売買がごく一般に行われはじめたころに偶然見つけ、機を逃さず入手したものである。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」においては全編を通じて牛島・木村の師弟関係がひとつの核として描写されている。
「木村政彦」という生涯を語る上で「牛島辰熊」は欠かせない。
しかし、牛島辰熊存命中に出版された「志士 牛島辰熊伝」のなかで、木村政彦に関する記述は非常に少ない。
筆者はその理由も「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んで初めてわかったのだ。
以上三冊の古典を紹介させていただいたが、まずは発売中の「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読まれることを全ての柔道人、そしてブラジリアン柔術に携わる方に望みたい。
「木村政彦」がブラジリアン柔術の歴史にも深く関与していることはもちろんであるが、かつての日本にこんな強い男がいたことを知っていただきたい。
また、筆者にとっては「柔道」と「講道館柔道」史観との歴史的軋轢が「ブラジリアン柔術」と「グレイシー柔術」史観とのそれを想起させてならない。
とにかく、お薦めの一冊。
もちろん、今回紹介した「古典」をも閲覧できればなおさらのことである。
(文中敬称略)
木村政彦「わが柔道」
初版本と文庫版
木村政彦「鬼の柔道」
「志士 牛島辰熊伝」
高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認A級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)
★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!
★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ!
★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、41才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。
★高谷さんの人気コラムシリーズはコチラから、ブログはコチラから!
©Bull Terrier Fight Gear
これは昭和60年に初版が発行されたものであるが、平成13年には文庫化もされているので、絶版ながら比較的現在でも入手することが容易かと思われる。
文字通りの自伝であるが、木村政彦の人となりだけでなく柔道における練習法・上達法に関しても言及」し、さらに巻末には得意技法の写真入り解説まで収録されている決定版である。
昭和60年代に入手した高校生の筆者も憧れと共に少しでもその境地に近づかんとしたものだ。
文庫化までの間にも改訂版が出されたりしていたが、その相違点は「エリオ・グラッシー」が「エリオ・グレイシー」表記に変わったことである。
もちろん、これは平成5年の「グレイシー柔術」フィーバーによるものであろう。
そしてこの平成5年は、木村政彦本人が鬼籍に入った年でもある・・
「鬼の柔道」木村政彦著
昭和44年刊。木村政彦が初めてその半生をまとめた書籍である。
筆者は高校時代から長らく神田の古書店街などで探していたものであったが、近年になってネット売買の充実によって始めて入手することが出来た。
数年前はさほど高額ではなかった記憶があるが、今では数万円で取引される稀少本となっているとのこと。
内容はもちろん後発の「わが柔道」と大差こそないものの、ブラジル以外のヨーロッパ・メキシコ遠征でのことにページを多く割いている印象がある。
力道山戦後のプロレスビジネスのための遠征であったが、発刊当時は時期的にまだ記憶が新しかったのだろうか。
また当時の柔道事情に関して「わが柔道」では山下泰裕の戦いぶりにふれていたが、こちらでは「昭和の三四郎」岡野功の動きに一言もの申している。
これは筆者にとって一種の衝撃であった。
いわく、岡野はピョンピョン飛び跳ねすぎだと。
有名な「バイタル柔道」の著者にして小兵ながら全日本2回優勝、賛辞しか聞いたことのない岡野功の柔道を批判できる人物が存在したのかと。
そして、まさに「ピョンピョン」するステップは筆者あたりの世代にとっては、後の古賀稔彦にも通じる強い選手ならではの象徴的な動きであったのだ。
「志士 牛島辰熊伝」
最後はこちら、昭和49年に一部で発行されおそらく全国的に発売されたものではないので、現在ではかなり閲覧が困難であろう。
筆者は母校柔道部の元師範でありそのご家族にも大変お世話になったこと、また木村政彦の師匠であるということから、牛島辰熊という人物にも深く傾倒してきた。
これは約10年前であろうか、ネット売買がごく一般に行われはじめたころに偶然見つけ、機を逃さず入手したものである。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」においては全編を通じて牛島・木村の師弟関係がひとつの核として描写されている。
「木村政彦」という生涯を語る上で「牛島辰熊」は欠かせない。
しかし、牛島辰熊存命中に出版された「志士 牛島辰熊伝」のなかで、木村政彦に関する記述は非常に少ない。
筆者はその理由も「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んで初めてわかったのだ。
以上三冊の古典を紹介させていただいたが、まずは発売中の「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読まれることを全ての柔道人、そしてブラジリアン柔術に携わる方に望みたい。
「木村政彦」がブラジリアン柔術の歴史にも深く関与していることはもちろんであるが、かつての日本にこんな強い男がいたことを知っていただきたい。
また、筆者にとっては「柔道」と「講道館柔道」史観との歴史的軋轢が「ブラジリアン柔術」と「グレイシー柔術」史観とのそれを想起させてならない。
とにかく、お薦めの一冊。
もちろん、今回紹介した「古典」をも閲覧できればなおさらのことである。
(文中敬称略)
木村政彦「わが柔道」
初版本と文庫版
木村政彦「鬼の柔道」
「志士 牛島辰熊伝」
高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認A級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)
★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!
★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ!
★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、41才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。
★高谷さんの人気コラムシリーズはコチラから、ブログはコチラから!
©Bull Terrier Fight Gear
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この記事へのコメント
1. Posted by 大矢維人 2015年09月21日 21:23
「志士 牛島辰熊伝」のコメントについて
突然のコメント、失礼します。
>「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」においては全編を通じて牛島・木村の師弟関係がひとつの核として描写されている。
「木村政彦」という生涯を語る上で「牛島辰熊」は欠かせない。
しかし、牛島辰熊存命中に出版された「志士 牛島辰熊伝」のなかで、木村政彦に関する記述は非常に少ない。
筆者はその理由も「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んで初めてわかったのだ・・・
についてですが、誤解があるのではないか・・・と思い、コメントします。
この本は、私の祖父、中下魁平(牛島先生のごくごく初期の弟子です)が書いたものです。
牛島先生のことをよく知っている祖父が、書いて、牛島先生のそれまでの人生と業績を書き、牛島先生にチェックしてもらって出版したものです。
祖父は弟子の中では強くはなかったのですが、一番文が立ち、頭も切れ、付き合いも非常に長く信頼関係も強かったので、牛島先生の古希のお祝いの時に祖父が自費出版で同門の方々に無償でお配りしたものです。
文章は、牛島先生の代わりに祖父が書いた文章です。
だから、木村先生のことについて記述が短かったことに意味はないと思われます。
増田さんの本は、私も読みました。 非常にマメな取材のもと書かれた本ですが、牛島先生と木村さんの確執のところだけは、増田さんの主観で書かれているとは思いませんか?
続く
突然のコメント、失礼します。
>「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」においては全編を通じて牛島・木村の師弟関係がひとつの核として描写されている。
「木村政彦」という生涯を語る上で「牛島辰熊」は欠かせない。
しかし、牛島辰熊存命中に出版された「志士 牛島辰熊伝」のなかで、木村政彦に関する記述は非常に少ない。
筆者はその理由も「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んで初めてわかったのだ・・・
についてですが、誤解があるのではないか・・・と思い、コメントします。
この本は、私の祖父、中下魁平(牛島先生のごくごく初期の弟子です)が書いたものです。
牛島先生のことをよく知っている祖父が、書いて、牛島先生のそれまでの人生と業績を書き、牛島先生にチェックしてもらって出版したものです。
祖父は弟子の中では強くはなかったのですが、一番文が立ち、頭も切れ、付き合いも非常に長く信頼関係も強かったので、牛島先生の古希のお祝いの時に祖父が自費出版で同門の方々に無償でお配りしたものです。
文章は、牛島先生の代わりに祖父が書いた文章です。
だから、木村先生のことについて記述が短かったことに意味はないと思われます。
増田さんの本は、私も読みました。 非常にマメな取材のもと書かれた本ですが、牛島先生と木村さんの確執のところだけは、増田さんの主観で書かれているとは思いませんか?
続く
2. Posted by 大矢維人 2015年09月21日 21:26
続き・・・
実際、祖父は、力道山との世紀の決戦前に、牛島先生に頼まれて力道山の練習を見に行っています。
祖父から直接話を聞いた父によれば、力道山のところの見学はごくごく短い時間のことだったそうです。
本に書かれたようなやりとりのようなことはなく、ましてや、牛島先生が木村さんを裏切るような、木村さんの技を敵である力道山に解説することはなかったと聞いています。
あの本は必要以上に、師弟関係の確執を著者の主観で書いて強調されているところがあるので、そこは、ノンフィクションとは言え、エンターテイメントありの本かと思われます。
大好きなおじいちゃんがお世話になった先生を悪く書かれ、この本を読んだ人に、二人の関係を必要以上に誤解してほしくないと思って書きました。
これを読んで気を悪くされたら大変申し訳ございませんが、誤解はしていただきたくなく、私の知っていることとしてお知らせいたします。
大矢維人(旧姓:中下維人)
実際、祖父は、力道山との世紀の決戦前に、牛島先生に頼まれて力道山の練習を見に行っています。
祖父から直接話を聞いた父によれば、力道山のところの見学はごくごく短い時間のことだったそうです。
本に書かれたようなやりとりのようなことはなく、ましてや、牛島先生が木村さんを裏切るような、木村さんの技を敵である力道山に解説することはなかったと聞いています。
あの本は必要以上に、師弟関係の確執を著者の主観で書いて強調されているところがあるので、そこは、ノンフィクションとは言え、エンターテイメントありの本かと思われます。
大好きなおじいちゃんがお世話になった先生を悪く書かれ、この本を読んだ人に、二人の関係を必要以上に誤解してほしくないと思って書きました。
これを読んで気を悪くされたら大変申し訳ございませんが、誤解はしていただきたくなく、私の知っていることとしてお知らせいたします。
大矢維人(旧姓:中下維人)