2011年11月20日
2006年のムンジアル Part.1
昔の画像フォルダを整理していたら懐かしい画像が出てきました。
2006年のムンジアルの画像です。
このムンジアルはブラジルで開催された最後のムンジアルで翌年からはアメリカのLA開催になり、現在に至ります。
個人的にも2006年が最後のブラジルで、当時はゴンカクで仕事をしていたこともあり、非常に思い出深い大会となっています。
今回はそのムンジアルの画像のいくつかを今日と明日の2回に分けてザッと紹介したいと思います!

2006年はクロン・グレイシーが紫帯でコパドムンドとムンジアルで
全試合一本勝利で完全優勝を果たし決勝戦の直後に茶帯に昇格しました。
自分もこのときが初めてクロンの試合を見てその強さに驚愕した記憶があります。
表彰台ではいまは実現不可能と思われるヒクソンとキムとの3ショット。
2006年のムンジアルの画像です。
このムンジアルはブラジルで開催された最後のムンジアルで翌年からはアメリカのLA開催になり、現在に至ります。
個人的にも2006年が最後のブラジルで、当時はゴンカクで仕事をしていたこともあり、非常に思い出深い大会となっています。
今回はそのムンジアルの画像のいくつかを今日と明日の2回に分けてザッと紹介したいと思います!

2006年はクロン・グレイシーが紫帯でコパドムンドとムンジアルで
全試合一本勝利で完全優勝を果たし決勝戦の直後に茶帯に昇格しました。
自分もこのときが初めてクロンの試合を見てその強さに驚愕した記憶があります。
表彰台ではいまは実現不可能と思われるヒクソンとキムとの3ショット。

ブラジルの格闘技雑誌「TATAME」の取材チーム。
大会前にTATAME編集部を訪問していたこともあり、いろいろと世話してもらいました。
左端のエドゥアルドとは現在もいろんな大会で顔を合わせています。

茶帯で出場していたビル・クーパーと師匠のフランジーニャ。
ブラジル開催時のムンジアルはアメリカ人選手のムンジアル出場はまだ珍しい時代でした。
この他にもマイク・ファウラーも出場していましたね。

そのビルが出場していた茶メジオのトーナメントを優勝したのはアラン・ド・ナシメント“フィホ”。
フィホは現在、ヨーロッパでチェックマットの支部長として頑張っています。
そのフィホを囲むのはレオジーニョ&ヒカジーニョのヴィレイラ兄弟です!

茶帯ペナ級で3位入賞の荒牧誠選手。
このJFTのフラッグも懐かしい!
ちなみに優勝はボブスポンジで準優勝はドゥリーニョ。

今は亡きハイアン・グレイシーはキーラのセコンドとして会場に来ていました。

前年度の世界王者、サムエル・ブラガと対戦したのはパラエストラ博多代表の泊 憲史選手。
ムンジアル最終日のド頭の試合で会場に着いたときには試合終了直前でした。
試合はサムエルが勝利して今大会では3位入賞を果たしています

今は仲良くしてるレティシア・ヒベイロも当時はただの顔見知り程度でした。
2006年は4年ぶりにムンジアル優勝という記念すべき大会でした。

レティシアを応援してたのは左からビア・メスキータ、アナ・キャリーナ、シンシア・ミゾベの
チーム・レティシアの面々。
ビアもキャロも当時はまだ青帯でした!

会場で会ったボンサイ・ファミリー。
左からホベルト・サトシ、マルコス・ヨシオ、クリスチアーニ・ユカリのソウザ兄弟。
マルキーニョスは当時二十歳でサトシにいたってはまだ15歳!
みんな若い!
見た目があまり変わってないマルキーニョスは当時から今のヘアスタイルなのが面白い。

このときがサトシと初対面でした。
このムンジアルでサトシはジュベニウ青帯のメジオ&アブソで優勝の2冠!
ですが今と比べたら身体も細いし、そんなに強そうに見えません!
★明日に続く!
©Bull Terrier Fight Gear