2012年01月09日
高谷コラム:「メトード・カワイシに思う」
昨春に日本武道館より上梓された講道館図書資料部長・村田直樹先生による「柔道の国際化<その歴史と課題>」を熟読させていただいた。
「講道館柔道」正史の枠にとどまらない筆致が心地よく、資料性・物語性の両面において秀逸なる一冊である。(以下敬称略)
前田光世についても詳しいこの書籍において、ブラジリアン柔術指導者でもある筆者が思うところ大であったのは、現在世界最大の柔道国フランスにおける初期の柔道指導者・川石造酒之助の事跡と「メトード・カワイシ」と呼ばれる彼の指導法に関してであった。
「講道館柔道」正史の枠にとどまらない筆致が心地よく、資料性・物語性の両面において秀逸なる一冊である。(以下敬称略)
前田光世についても詳しいこの書籍において、ブラジリアン柔術指導者でもある筆者が思うところ大であったのは、現在世界最大の柔道国フランスにおける初期の柔道指導者・川石造酒之助の事跡と「メトード・カワイシ」と呼ばれる彼の指導法に関してであった。
イギリスを経て川石が柔道指導のためフランスに渡ったのは1936(昭和11)年。
日本では、木村政彦時代が始まらんとしていたころである。
当時のパリでは柔道場が「ジウジツ・クラブ」と呼ばれていた。
さて川石がフランスにおいて採用した独自の指導法、その特徴に技法名の記号化などがある。
全てがナンバーで呼ばれた技法、例えば「大外刈り」は「足技1」、「腕ひしぎ十字固め」は「腕固・第一位置1」などと呼称されていたという。
日本的な、時に詩的とも言える技のネーミングなどは、フランス人にとってあまり興味の対象ではなかったのか。
その他、帯色制度についても細分化した独自のものを採用していた。
総じて上達の階梯がより具体的な形に現れやすいことが修行へのモチベーションを高めるという、一種の国民性を理解したうえでのアイデアであったようだ。
川石は言う。
「(前略)柔道が誕生し発展したのは日本に特有な雰囲気の中に於いてである。(中略)柔道を欧州に移しそこで成長発展させる為、欧州人の心理に適するよう勘考することなしに日本の柔道の原理を少しの調整も転位も為さぬまま字義通り踏襲することは、柔道を重大な困難に晒すことになるだろう。(中略)これが欧州人の為に指導する特別な方法、即ち川石方式を創案した理由である。」
閑話休題。
現在、ブラジリアン柔術は世界に広く行われ、さらにまだまだ発展普及の途中である。
多くの、主にブラジル人のマスターが世界の津々浦々で奔走されていることだろう。
各国の国民性を鑑みて指導法を考案したり、時に苦労しているであろうことは想像に難くない。
年が明け、今年で日本にブラジリアン柔術の常設アカデミーが設立されるようになって15年となる。
その間、現JBJJF中井会長をはじめ多くの先生が日本にあった指導・練習法を模索・実践してきた。
具体的にはロジカルな競技用テクニッククラスの充実、セルフディフェンス技法に関してはやや扱われることが少ないといった印象である。
筆者としては、近い将来に日本式「メトード」からブラジリアン柔術黒帯世界王者が輩出されることを期待するところである。
フランス柔道初期の名指導者にして
「メトード・カワイシ」の考案者・川石造酒之助。
日本武道館刊「柔道の国際化<その歴史と課題>」。
筆者的には「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」と
双璧をなす、昨年の名著である。
高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認A級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)
★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!
★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ!
★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、41才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。
★高谷さんの人気コラムシリーズはコチラから、ブログはコチラから!
©Bull Terrier Fight Gear
日本では、木村政彦時代が始まらんとしていたころである。
当時のパリでは柔道場が「ジウジツ・クラブ」と呼ばれていた。
さて川石がフランスにおいて採用した独自の指導法、その特徴に技法名の記号化などがある。
全てがナンバーで呼ばれた技法、例えば「大外刈り」は「足技1」、「腕ひしぎ十字固め」は「腕固・第一位置1」などと呼称されていたという。
日本的な、時に詩的とも言える技のネーミングなどは、フランス人にとってあまり興味の対象ではなかったのか。
その他、帯色制度についても細分化した独自のものを採用していた。
総じて上達の階梯がより具体的な形に現れやすいことが修行へのモチベーションを高めるという、一種の国民性を理解したうえでのアイデアであったようだ。
川石は言う。
「(前略)柔道が誕生し発展したのは日本に特有な雰囲気の中に於いてである。(中略)柔道を欧州に移しそこで成長発展させる為、欧州人の心理に適するよう勘考することなしに日本の柔道の原理を少しの調整も転位も為さぬまま字義通り踏襲することは、柔道を重大な困難に晒すことになるだろう。(中略)これが欧州人の為に指導する特別な方法、即ち川石方式を創案した理由である。」
閑話休題。
現在、ブラジリアン柔術は世界に広く行われ、さらにまだまだ発展普及の途中である。
多くの、主にブラジル人のマスターが世界の津々浦々で奔走されていることだろう。
各国の国民性を鑑みて指導法を考案したり、時に苦労しているであろうことは想像に難くない。
年が明け、今年で日本にブラジリアン柔術の常設アカデミーが設立されるようになって15年となる。
その間、現JBJJF中井会長をはじめ多くの先生が日本にあった指導・練習法を模索・実践してきた。
具体的にはロジカルな競技用テクニッククラスの充実、セルフディフェンス技法に関してはやや扱われることが少ないといった印象である。
筆者としては、近い将来に日本式「メトード」からブラジリアン柔術黒帯世界王者が輩出されることを期待するところである。
フランス柔道初期の名指導者にして
「メトード・カワイシ」の考案者・川石造酒之助。
日本武道館刊「柔道の国際化<その歴史と課題>」。
筆者的には「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」と
双璧をなす、昨年の名著である。
高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
BJJFJ公認A級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)
★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!
★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ!
★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、41才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。
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