2012年04月22日
高谷コラム:第六回全日本マスター&シニアを終えて
先月の3/25、駒沢オリンピック公園屋内球技場において「第六回全日本マスター&シニア選手権」が盛大に催され、筆者も僭越ながら出場させていただいた。
日本におけるブラジリアン柔術の普及発展を振り返ったとき、「マスシニ」はひとつのキーワードともいえよう。
基本的に全ての大会が帯別・体重別、そしてこの「マスター&シニア」カテゴリーが象徴的な年齢別にて行われるブラジリアン柔術競技。
老若男女誰しもが参加しやすい市民スポーツとして、理想的な構造を有している。
いっぽう例えば、柔道における「マスターズ」。
こちらも盛大に行われている大会ではあるが、筆者は出場経験こそないがサイト等で出場者の顔ぶれをみると、かつて「柔道エリート」としてトップを目指してきた者たちが年齢を重ねてもなおその情熱を燃やすための舞台として機能しているものと思われる。
決して、社会人となってから趣味として柔道を始めた・・という人たちの大会とは成りえていないものである。
IBJJF公式サイトによると「インターナショナル・マスター&シニア」大会が始まったのは1999年。
その年の記録こそアップされていないが、翌2000年の記録ではマルコ・バルボーザやムリ―ロ・ブスタマンチといったそうそうたる名前が優勝者に名を連ねている。
「ムンジアル」のマスター&シニア部門という定義づけこそされていないものの、「インターナショナル」大会の嚆矢として確固たる格付けをされてきた同大会。
世界選手権がアメリカ開催となった今も本場ブラジルのチジューカ・テニスクルービにて毎年開催されている。
筆者も2005年の茶帯時代に一度だけ参戦経験があるが、例年出場していたムンジアルに比べると同会場ながらはるかにのんびりとした牧歌的な雰囲気が流れていた。
ファビオ・グ―ジェウが観覧席で昼寝しつつ、試合では抜群の強さを見せていたものだ。
そういえば駒沢の球技場、どことなくチジューカ・テニスクルービに似た風情である……
日本においては、かつては全日本選手権にマスターやシニアのカテゴリーがあったりストライプル主催の「マスシニ」が開催されていたものだが、近年に至って「全日本」のマスター&シニア部門という格付けがなされ今回で六回目を数える。
今回、JBJJFブログにおいて大会の模様がかなり詳細に報じられている。
その中で「マスシニは一線を退いた指導者たちが年一回選手として現役復帰する舞台」旨の記述があった。
ぜひ来年以降、より多くかつての名選手たちの勇姿を拝見したいと思うとともに、自分自身も可能な限り続けて出場したい。
そして、多くの社会人ブラジリアン柔術愛好家にとって、意欲的に臨むことの出来る舞台であってほしいものである。(敬称略)
筆者のチームであるパラエストラ吉祥寺。
昨年の優勝に続き、今年は団体準優勝を果たすことが出来た。
高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
JBJJF公認A級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)
★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!
★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ!
★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、42才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。
★高谷さんの人気コラムシリーズはコチラから、ブログはコチラから!
【今日が誕生日の柔術家】フェルナンド・マルガリーダ、セオドロ・カナル
©Bull Terrier Fight Gear
日本におけるブラジリアン柔術の普及発展を振り返ったとき、「マスシニ」はひとつのキーワードともいえよう。
基本的に全ての大会が帯別・体重別、そしてこの「マスター&シニア」カテゴリーが象徴的な年齢別にて行われるブラジリアン柔術競技。
老若男女誰しもが参加しやすい市民スポーツとして、理想的な構造を有している。
いっぽう例えば、柔道における「マスターズ」。
こちらも盛大に行われている大会ではあるが、筆者は出場経験こそないがサイト等で出場者の顔ぶれをみると、かつて「柔道エリート」としてトップを目指してきた者たちが年齢を重ねてもなおその情熱を燃やすための舞台として機能しているものと思われる。
決して、社会人となってから趣味として柔道を始めた・・という人たちの大会とは成りえていないものである。
IBJJF公式サイトによると「インターナショナル・マスター&シニア」大会が始まったのは1999年。
その年の記録こそアップされていないが、翌2000年の記録ではマルコ・バルボーザやムリ―ロ・ブスタマンチといったそうそうたる名前が優勝者に名を連ねている。
「ムンジアル」のマスター&シニア部門という定義づけこそされていないものの、「インターナショナル」大会の嚆矢として確固たる格付けをされてきた同大会。
世界選手権がアメリカ開催となった今も本場ブラジルのチジューカ・テニスクルービにて毎年開催されている。
筆者も2005年の茶帯時代に一度だけ参戦経験があるが、例年出場していたムンジアルに比べると同会場ながらはるかにのんびりとした牧歌的な雰囲気が流れていた。
ファビオ・グ―ジェウが観覧席で昼寝しつつ、試合では抜群の強さを見せていたものだ。
そういえば駒沢の球技場、どことなくチジューカ・テニスクルービに似た風情である……
日本においては、かつては全日本選手権にマスターやシニアのカテゴリーがあったりストライプル主催の「マスシニ」が開催されていたものだが、近年に至って「全日本」のマスター&シニア部門という格付けがなされ今回で六回目を数える。
今回、JBJJFブログにおいて大会の模様がかなり詳細に報じられている。
その中で「マスシニは一線を退いた指導者たちが年一回選手として現役復帰する舞台」旨の記述があった。
ぜひ来年以降、より多くかつての名選手たちの勇姿を拝見したいと思うとともに、自分自身も可能な限り続けて出場したい。
そして、多くの社会人ブラジリアン柔術愛好家にとって、意欲的に臨むことの出来る舞台であってほしいものである。(敬称略)
筆者のチームであるパラエストラ吉祥寺。
昨年の優勝に続き、今年は団体準優勝を果たすことが出来た。
高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
JBJJF公認A級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)
★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!
★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ!
★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、42才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。
★高谷さんの人気コラムシリーズはコチラから、ブログはコチラから!
【今日が誕生日の柔術家】フェルナンド・マルガリーダ、セオドロ・カナル
©Bull Terrier Fight Gear