2012年05月22日
高谷コラム:古典紹介「闘魂・高専柔道の回顧」
大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、さらに劇画化が話題となっている「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」によって、さらにクローズアップされている木村政彦。
その木村は、純然たる「高専柔道」の選手であるとは言えないものの、そのファクターが技術体系のうち多くを構築しえていたことは事実であろう。
今回は、多くのかたがブラジリアン柔術との共通性に異論を唱えないと思われる、その「高専柔道」を描いた名著を紹介したい。
旧制松本高校OB・湯本修治著「闘魂」は昭和41年、続編となる「続・闘魂」は昭和47年の刊行。
今回はまず「闘魂」を紹介させていただく。
こちらは明治31年、東京の一高と仙台の二高との対抗戦が始まってから大正末までの記録・描写となっている。
当初は学校対抗の柔道試合といった点に特色があったわけであるが、徐々に寝技の優位性を取り入れるようになり、所謂「高専柔道」が本格的に確立したのは大正3年に「第一回全国高等学校専門学校柔道優勝大会」が始まったことによるようだ。
かの地ブラジルでは、前田光世が「柔術」を指導し、エリオ・グレイシーがこの世に生を受けて間もない頃・・
さて、同著に描かれた世界をお伝えするに文章力・量ともに不足とはなるが、筆者が印象に残ったエピソードをいくつか。
「引き込み」(文中では「引っ込み」)を認めるか否かに関する高専柔道側と講道館、はては嘉納治五郎師範との論争。
当世言うところの「膝十字固め」である「足の大逆」を合法として主張する岡山の六高と、反則とされる「足がらみ」(いわゆる「外掛け」により膝を捻る技法)と同じと反論する金沢の四高との、これまたルールによる紛糾。
三角絞めを用いて実際の試合で成果を上げた嚆矢とも言える六高・早川勝の活躍など・・
そして最たるものが、講道館にあって「常胤流」と言われる独自の寝技で知られた小田常胤が二高師範であった当時の、対する一高の逸話。
両校喧嘩腰とも言える状況下でやや戦力優勢にあった二高が一高に対し、小田の著作による技術書「柔道はこうして勝て」を送りつけたところ、一高は封を開けなかったと言う。
一方では互いにスパイを送って道場をのぞかせたりした当時にあって、闘いに応じる者の気高いプライドを感じさせるエピソードであった。
インターネットが普及する現代では考えられない、叡智を振り絞った技術開発を更新してきた高専柔道の選手達。
その努力と精神力が描写されているのが名著「闘魂」である。
現在入手困難ではあるが、筆者は運よくネットにて、かなりの書き込みや汚れの激しいものながら、比較的安価にて入手することが出来た。
再版は難しいものであろうが、ぜひ多くの柔道家、ブラジリアン柔術家の目にふれてほしいものである。
木村政彦が活躍、そして苦戦する昭和の高専大会について描かれた「続・闘魂」に関しては、次回紹介させていただきたい。
(文中敬称略)
昭和41年刊
「闘魂・高専柔道の回顧」
小田常胤が師範を務めていた二高の稽古風景。
動画サイトで「tsunetane oda」を検索すると、「寝技」を志向する者にとっての
基本技術を網羅した、秀逸な映像を観ることが出来る。
高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
JBJJF公認A級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)
★CSF王座防衛戦の様子はコチラから!
★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ!
★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、42才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。
★高谷さんの人気コラムシリーズはコチラから、ブログはコチラから!
©Bull Terrier Fight Gear
その木村は、純然たる「高専柔道」の選手であるとは言えないものの、そのファクターが技術体系のうち多くを構築しえていたことは事実であろう。
今回は、多くのかたがブラジリアン柔術との共通性に異論を唱えないと思われる、その「高専柔道」を描いた名著を紹介したい。
旧制松本高校OB・湯本修治著「闘魂」は昭和41年、続編となる「続・闘魂」は昭和47年の刊行。
今回はまず「闘魂」を紹介させていただく。
こちらは明治31年、東京の一高と仙台の二高との対抗戦が始まってから大正末までの記録・描写となっている。
当初は学校対抗の柔道試合といった点に特色があったわけであるが、徐々に寝技の優位性を取り入れるようになり、所謂「高専柔道」が本格的に確立したのは大正3年に「第一回全国高等学校専門学校柔道優勝大会」が始まったことによるようだ。
かの地ブラジルでは、前田光世が「柔術」を指導し、エリオ・グレイシーがこの世に生を受けて間もない頃・・
さて、同著に描かれた世界をお伝えするに文章力・量ともに不足とはなるが、筆者が印象に残ったエピソードをいくつか。
「引き込み」(文中では「引っ込み」)を認めるか否かに関する高専柔道側と講道館、はては嘉納治五郎師範との論争。
当世言うところの「膝十字固め」である「足の大逆」を合法として主張する岡山の六高と、反則とされる「足がらみ」(いわゆる「外掛け」により膝を捻る技法)と同じと反論する金沢の四高との、これまたルールによる紛糾。
三角絞めを用いて実際の試合で成果を上げた嚆矢とも言える六高・早川勝の活躍など・・
そして最たるものが、講道館にあって「常胤流」と言われる独自の寝技で知られた小田常胤が二高師範であった当時の、対する一高の逸話。
両校喧嘩腰とも言える状況下でやや戦力優勢にあった二高が一高に対し、小田の著作による技術書「柔道はこうして勝て」を送りつけたところ、一高は封を開けなかったと言う。
一方では互いにスパイを送って道場をのぞかせたりした当時にあって、闘いに応じる者の気高いプライドを感じさせるエピソードであった。
インターネットが普及する現代では考えられない、叡智を振り絞った技術開発を更新してきた高専柔道の選手達。
その努力と精神力が描写されているのが名著「闘魂」である。
現在入手困難ではあるが、筆者は運よくネットにて、かなりの書き込みや汚れの激しいものながら、比較的安価にて入手することが出来た。
再版は難しいものであろうが、ぜひ多くの柔道家、ブラジリアン柔術家の目にふれてほしいものである。
木村政彦が活躍、そして苦戦する昭和の高専大会について描かれた「続・闘魂」に関しては、次回紹介させていただきたい。
(文中敬称略)
昭和41年刊
「闘魂・高専柔道の回顧」
小田常胤が師範を務めていた二高の稽古風景。
動画サイトで「tsunetane oda」を検索すると、「寝技」を志向する者にとっての
基本技術を網羅した、秀逸な映像を観ることが出来る。
高谷聡(こうたに・さとし)
パラエストラ吉祥寺・代表。
ブラジリアン柔術・黒帯、柔道四段。
JBJJF公認A級審判員。
現CSF(コンバット・サブミッション・ファイティング)王者。
CSF王座は2007年6/1、ニュージーランド、オークランド、トラスト・スタジアムにて前王者、ニール・スウェイルスと戦い、これを延長戦の末にポイント判定で降し王座獲得。
王座獲得の後、2年ぶりに王座防衛戦を行い、激戦の末に王座防衛を果たす。(2009年5月)
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★CSF王座獲得のの詳細は2007年06月01日のこのブログのニュージーランド編を参照のこと。
☆ニュージーランド編はコチラ、画像はコチラ!
★著者経歴
・昭和45年2月11日生まれ、42才(独身)
・昭和57年、12才で武道を始める。
・昭和59年、合気道初段。
・昭和61年、16才で柔道に転じ以降、高校・大学・実業団にて選手として出場。
・現在は母校の柔道部監督を務める。
・平成7年、柔道4段取得。
・実業団所属時代、鈴木道場サンボクラスに入門、初段を取得。
・平成9年、鈴木道場サンボクラスに出稽古の中井祐樹先生と知り合う。
・同年末に開設されたパラエストラ東京(当時パレストラ東京)に入門、ブラジリアン柔術を始める。
・平成13年、パラエストラ吉祥寺を設立。
・平成17年、ブラジリアン柔術の黒帯を取得。
・好きな女優は池脇千鶴、おニャン子クラブでは白石麻子が好きだった。
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