2020年05月01日
【画像】ブラジル時代のムンジアル
ブラジルで開催されていたムンジアルはリオデジャネイロのチジューカにある、チジューカテニスクルービというテニスクラブで行われており、いつも7月の最終週の週末に定期開催されるのが常でした。
90年代はまだデジカメもそれほど普及しておらず、その多くはフィルムでの撮影だと思われますが、それがまた味があって懐かしい感じがします。
それらは今もマスターカテゴリーで試合してるソッカや現在は指導者として名を馳せているジジ・パイヴァ、そしてMMAで活躍中のアリ・ファリアスなど多彩な顔ぶれのムンジアルで試合してる姿が見られます。
中でも後にムンジアルに反旗を翻してコパドムンドを同じ時期に開催し、アリアンシ分裂のきっかけを作っただけでなく、自らもCBJJO(コンフェデラサオン・ブラジレイロ・ジウジツ・オリンピコ=オリンピック・ブラジリアン柔術連盟)を創設し代表となるアンドレ・ペデネイラスもムンジアルに出場していたのは知らなかったです。
こういった歴史があって、今も続いている大会というのは貴重で、そしてその結果や画像などの資料もしっかり残されているのは素晴らしい限りです。
その一端がこうやって垣間見れるのは興味深いことなので、その画像たちをピックアップしてここで紹介します。
これがムンジアルの常打ち会場だったチジューカ・テニスクルービ。
この会場で数々の名勝負が行われた柔術の聖地とも言える場所です。
ここで96年から2006年までの11年間、ムンジアルが開催されていました。
ノヴァウニオン代表で数々の名選手を育成した名伯楽でもあるアンドレ・ペデネイラスは97年のムンジアルに出場。
後にCBJJOを興しCBJJに対抗したのは前述した通りです。
これは2003年のソッカvsメガトンの試合画像です。
ソッカのパンツにイサミのパッチが縫い付けられてるのに注目!
当時ソッカはキーラ・グレイシーと付き合っててキーラを日本の大会に呼ぶためにイサミの磯社長がマネージャー的な存在だったソッカとコンタクトし、後にGIでの来日が実現しました。
過去に1度だけ実現しているアンドレ・ガウヴァオンとジャカレの一戦は2005年のオープンクラスで対戦。
試合はジャカレが勝利してます。
ちなみにこの画像の奥、白いジャージ姿でカメラを構えてるのは私です!
いまもマスターで試合しているフェリッペ・コスタ。
この画像は2003年で現役バリバリだった頃のもので、この年にムンジアル優勝。
その後はムンジアルの優勝を逃すも8回の入賞経験があります。
鉛の足という意味のペジシュンボというニックネームを持つデウソン・エレノ。
2005年に鳴り物入りで黒帯デビューしたホムロ・バハルを完封して勝利した姿が忘れられません。
この画像は2002年のムンジアルでのものです。
アリアンシの3大マスターの1人であるジジことアレッシャンドリ・パイバもムンジアル王者。
まだ90年代はアダルトでバリバリ試合してました。
ムンジアルでは99年に優勝し、その他にも96年にパン王者になっています。
テレレが黒帯でムンジアルを制したのは2000年のこと。
メジオ(ミドル)決勝戦でニーノ・シェンブリと対戦して勝利しました。
この年のムンジアルは日本でもサムライTVで放送され、この試合も番組で流されてます。
ヘンゾ・グレイシーの黒帯でPRIDEで来日経験もあるアメリカ人、マット・セラは99年にムンジアル出場。
ブラジル時代のムンジアルは世界選手権とは名ばかりで、その出場者のほとんどはブラジル人のみでした。
ムンジアルは2000年に茶帯で3位に入賞してます。
かつて90年代にホイラー・グレイシーに勝利して一躍名を広めたマルコ・バルボーザは99〜2001年までムンジアルで3位入賞。
が、99年にはブラジレイロで中井祐樹、ソッカらに勝利して優勝してます。
99年&2000年とムンジアル2連覇したレオ・レイチはアリアンシの重量級の雄。
その99年のムンジアル出場の2週間前に黒帯になったばかりでのムンジアル制覇は偉業でしょう。
もともとは柔道の選手で、柔道でもナショナルチームのメンバーとしてオリンピック選手候補になるほどのビッグネームでした。
後にブラザでチームメイトとなるロバート・ドライスデールとエドゥアルド・テレスも2004年当時はロバートがブラザでテレスはTTで別々のチームでした。
この後、2006年にTTが崩壊し、テレスはブラザに加入することになります。
いまはMMAファイターとして活躍中のアリ・ファリアスはジュブナイル時代からムンジアルを制しているトップ選手でした。
でも黒帯では3度の決勝戦進出も1回はギイ・メンデスとクローズアウト、もう1回は反則負け、そしてマイキー・ムスメシに敗北と、いまだ優勝は果たせてません。
記念すべき第1回目のムンジアルで勢揃いした重鎮たち。
左から、カーウソン・グレイシー、レオン・ティシェイラ、カーロス・グレイシーJR、オズワルド・アウヴェス、ホメロ・カバウカンチ、ホイラー・グレイシー。
注目は大会Tシャツに大会名としてカンパニー(ポルトガル語でコンパニ)とサイクロン(ポルトガル語でシクローニ)の名前が入ってること。
カンパニーとサイクロンはブラジルのサーフブランドで当時は独自にカップ戦を開催してました。
そのカップ戦の延長でムンジアルが開催されたと推測できます。
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90年代はまだデジカメもそれほど普及しておらず、その多くはフィルムでの撮影だと思われますが、それがまた味があって懐かしい感じがします。
それらは今もマスターカテゴリーで試合してるソッカや現在は指導者として名を馳せているジジ・パイヴァ、そしてMMAで活躍中のアリ・ファリアスなど多彩な顔ぶれのムンジアルで試合してる姿が見られます。
中でも後にムンジアルに反旗を翻してコパドムンドを同じ時期に開催し、アリアンシ分裂のきっかけを作っただけでなく、自らもCBJJO(コンフェデラサオン・ブラジレイロ・ジウジツ・オリンピコ=オリンピック・ブラジリアン柔術連盟)を創設し代表となるアンドレ・ペデネイラスもムンジアルに出場していたのは知らなかったです。
こういった歴史があって、今も続いている大会というのは貴重で、そしてその結果や画像などの資料もしっかり残されているのは素晴らしい限りです。
その一端がこうやって垣間見れるのは興味深いことなので、その画像たちをピックアップしてここで紹介します。
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この会場で数々の名勝負が行われた柔術の聖地とも言える場所です。
ここで96年から2006年までの11年間、ムンジアルが開催されていました。
ノヴァウニオン代表で数々の名選手を育成した名伯楽でもあるアンドレ・ペデネイラスは97年のムンジアルに出場。
後にCBJJOを興しCBJJに対抗したのは前述した通りです。
これは2003年のソッカvsメガトンの試合画像です。
ソッカのパンツにイサミのパッチが縫い付けられてるのに注目!
当時ソッカはキーラ・グレイシーと付き合っててキーラを日本の大会に呼ぶためにイサミの磯社長がマネージャー的な存在だったソッカとコンタクトし、後にGIでの来日が実現しました。
過去に1度だけ実現しているアンドレ・ガウヴァオンとジャカレの一戦は2005年のオープンクラスで対戦。
試合はジャカレが勝利してます。
ちなみにこの画像の奥、白いジャージ姿でカメラを構えてるのは私です!
いまもマスターで試合しているフェリッペ・コスタ。
この画像は2003年で現役バリバリだった頃のもので、この年にムンジアル優勝。
その後はムンジアルの優勝を逃すも8回の入賞経験があります。
鉛の足という意味のペジシュンボというニックネームを持つデウソン・エレノ。
2005年に鳴り物入りで黒帯デビューしたホムロ・バハルを完封して勝利した姿が忘れられません。
この画像は2002年のムンジアルでのものです。
アリアンシの3大マスターの1人であるジジことアレッシャンドリ・パイバもムンジアル王者。
まだ90年代はアダルトでバリバリ試合してました。
ムンジアルでは99年に優勝し、その他にも96年にパン王者になっています。
テレレが黒帯でムンジアルを制したのは2000年のこと。
メジオ(ミドル)決勝戦でニーノ・シェンブリと対戦して勝利しました。
この年のムンジアルは日本でもサムライTVで放送され、この試合も番組で流されてます。
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ブラジル時代のムンジアルは世界選手権とは名ばかりで、その出場者のほとんどはブラジル人のみでした。
ムンジアルは2000年に茶帯で3位に入賞してます。
かつて90年代にホイラー・グレイシーに勝利して一躍名を広めたマルコ・バルボーザは99〜2001年までムンジアルで3位入賞。
が、99年にはブラジレイロで中井祐樹、ソッカらに勝利して優勝してます。
99年&2000年とムンジアル2連覇したレオ・レイチはアリアンシの重量級の雄。
その99年のムンジアル出場の2週間前に黒帯になったばかりでのムンジアル制覇は偉業でしょう。
もともとは柔道の選手で、柔道でもナショナルチームのメンバーとしてオリンピック選手候補になるほどのビッグネームでした。
後にブラザでチームメイトとなるロバート・ドライスデールとエドゥアルド・テレスも2004年当時はロバートがブラザでテレスはTTで別々のチームでした。
この後、2006年にTTが崩壊し、テレスはブラザに加入することになります。
いまはMMAファイターとして活躍中のアリ・ファリアスはジュブナイル時代からムンジアルを制しているトップ選手でした。
でも黒帯では3度の決勝戦進出も1回はギイ・メンデスとクローズアウト、もう1回は反則負け、そしてマイキー・ムスメシに敗北と、いまだ優勝は果たせてません。
記念すべき第1回目のムンジアルで勢揃いした重鎮たち。
左から、カーウソン・グレイシー、レオン・ティシェイラ、カーロス・グレイシーJR、オズワルド・アウヴェス、ホメロ・カバウカンチ、ホイラー・グレイシー。
注目は大会Tシャツに大会名としてカンパニー(ポルトガル語でコンパニ)とサイクロン(ポルトガル語でシクローニ)の名前が入ってること。
カンパニーとサイクロンはブラジルのサーフブランドで当時は独自にカップ戦を開催してました。
そのカップ戦の延長でムンジアルが開催されたと推測できます。
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FUHAI=不敗はブルテリアの和モノシリーズの最新作。
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