2022年04月13日
【画像】ブラジル時代のムンジアル:その3

過去に掲載していたブラジルで開催されていた時代のムンジアル画像紹介。
長らく間が空いてしまいましたが、3回目をやりたいと思います。
ムンジアルの第1回目は96年で、それから10年間はブラジル・リオデジャネイロのチジューカ・テニスクルービで開催されていました。
その後、2007年からアメリカ・ロサンゼルスのロングビーチにあるUCLAのピラミッドで開催となり、現在に至っています。
そんなムンジアルですが、ムンジアルがアメリカ開催になってからブラジルで開催されていた期間を超えており、ブラジル時代のムンジアルを知る人たちも少なくなってきました。
そして当時はまだ雑誌などの紙媒体が主流だったのでインターネット上で過去の試合画像を見る機会はそう多くありません。
それだけにIBJJFがアップしてくれたブラジル時代のムンジアルの試合画像の数々は貴重なものなのです。
往年の名選手たちが現役バリバリだった時代の数々を紹介します。

画像は2005年のムンジアルから、ジャカレ・ソウザ(ブラザ)vsサウロ・ヒベイロ(ヒベイロJJ)の試合。
いまはMMAで成功しているジャカレだが2000年代中期までは柔術シーンを代表する名選手だった。

後に世界王者となるオタービオ・ソウザ(グレイシーバッハ)もブラジル時代はまだ色帯でこの画像ではわかりにくいが紫帯だった。
黒帯でムンジアル王者になるのは2012年が初優勝で、その後に2013&2016と3度の優勝経験がある。

2000年代初期のグレイシーバッハの軽量級で名を馳せていたエスコヘーガーこと。カーロス・レモス。
99年に紫帯でムンジアル初優勝し、2002年には黒帯でムンジアルを制している。

現在はシカゴでブラジル021をオープンしているアネッチ・エスタッキ。
ムンジアルだけでなくADCCでも優勝して強豪だ。

0899年と2000年の2年連続でムンジアルの黒帯無差別を制したコンプリドことホドリゴ・メデイロス。
99年の初優勝時は21歳でのムンジアル制覇だった。

"ホレッタ"のニックネームで知られるホベルト・マガリャエス(グレイシーバッハ)。
自身の名を冠したホレッタスイープで有名。

2001年のムンジアルでWゴールド獲得の"マルガリーダ"フェルナンド・ポンテス(BTT)。
当時、最強と言われたサウロ・ヒベイロを階級&無差別で2連勝、しかも1回は絞めで一本勝ちし驚かせた。

これは2004年のムンジアル、ウルトラヘビー決勝戦、ファブリシオ・ヴェウドゥムvsテレレの一戦。
当時因縁があったペジパーノのエントリーを見込んで本来はミドル級のテレレがウルトラヘビーにエントリーもペジパーノは欠場。
だが決勝戦まで勝ち上がってヴェウドゥムと対戦も惜敗、だが堂々の準優勝を果たした。

当時、BTT〜ウイナーベーリンギ〜グレイシーバッハと移籍を繰り返していたマリオ・ヘイス。
そのマリオがライトに階級アップして決勝戦で対峙したのが"セルシーニョ"セルソ・ヴィニシウスで、セルシーニョはグレイシーバッハの生え抜き選手。
この決勝戦に勝ったセルシーニョは勝ち名乗りの際に「オレがグレイシーバッハだ!」と叫んだ姿が忘れられない。

■ブラジル時代のムンジアル・その1はコチラ、その2はコチラから!

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@kinyabjj 絞技で失神、気がついたとき絞め落とされたことに気づかず、試合が続いてると思ってレフリーにタックル!#ブ#ラジリアン柔術 #柔#術 #関#節技 #格#闘技 #絞#技#失#神
♬ オリジナル楽曲 - 柔術野郎

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